【凛を尽くして】の続編小説となります



その朝は、空気が違う朝だった。
具体的にどうとは言えない、五感以外の部分がざわめくそんな朝。
フィリアは街へ向けようとしていた足を自宅に戻して天を仰いだ。
久しぶりだ、と思う。
硬質でひんやりとした陰影、特質的な瑞気、ここでなく今でもない光彩の感得。
これは ─── 「神託」の前触れだ。



凛を尽くした



巫女を辞めてから何千年が経ったのだろう。
歳月の狭間にはいくつかの戦争があり、出逢いがあり別れがあり、絆があり愛があった。
最期の黄金竜としてそれらを進み抜いたフィリアは現今を穏やかに生きている。
とある戦争を切っ掛けに、口喧嘩の投げ合いやメイスを振回す機会が減ってしまったのは物足りない、いや、正直に寂しく、正しくほろ苦いのだが、それでも大丈夫。
貫いた永遠があるからこそ、裏側に無理を張り付けることもなく、ちゃんと笑えている。

 「でもどうして私に神託が……」

感慨深く囁いたフィリアは思索に耽る。
とうの昔に神殿を離れた自分に、神の啓示が降りようとしているのは何故か。
フィリアは神族の端くれとして修行こそ続けているが、この数千年彼女に祈るべき神はいなかった。
安寧を第一義にという考えは変わらないが、様々な歴史に乗じた魂は真理を見せてくれた。
この世のみと割り切れずにいるのなら、全単位の平和を願うのならば、誠に祈りを捧げるべきは ”誰”という域では無い事を。

 「変わり者の神もいるのかしら」

フィリアは机の上に広げたペンと羊皮紙に魔力を結集させた。
これが通常の神託の受け取り方。しばし待てば絵なり文字なりでお告げが下る。
「……」 白い発光を皮切りに始まる降臨。震え出した魔力にフィリアは視覚を遮断した。
今の自分に神が降りる道理がないと思うのだけれど、それに限りなく近しい色感が蠢いていた。
「─── 近しい?」 フィリアは受ける力に首を傾げた。近しい、と感じているということは、実像は似ているだけの別物なのかも知れない。

 「……くっ」

過去の啓示との相違点、それは、過剰なまでの金色(こんじき)の波。
まるでこちらを覆い尽くさんとするばかりの無限。
「神託じゃ、ない……!?」 フィリアは異様な不整合を掴んだ。
右手は順調にペンを走らせているものの、常の神託にはこのような金色の奔流は含まれない。
注ぎ込まれているものは、神託以外の、限りなく神託に近しい、けれども神聖な別物だ。
何が起きようとしているのか。これは何なのか。
中心を探ろうとした突如、フィリアのペンが止まった。
降臨からの解放だ。
金色の気配が去った羊皮紙には粗野で崩れがちな文字でこう記されている。

 「神、々、凶……兆、黄、金…竜、吉、兆」

神々凶兆・黄金竜吉兆。

 「これは……」

内界で文字を括ったフィリアが得難い声を上げた。
暗号めいた構成でないのは助かったと見るが、降りた言葉は辻褄が合っていない。
神々に災いがあるとしたら、それは竜族とてイコールに結ばれる筈だ。
神に凶と示される出来事を、竜が吉に捉えると言うのか。
加えて、黄金竜はもうフィリア=ウル=コプトの一人しかこの世に現存しないのだ。
羊皮紙上に降りた言葉を直訳で噛み砕くとしたら。

 「神々にとっての凶事が ”私” にとって吉事? そんな馬鹿な……」

フィリアは微苦笑でペンを転がした。
神々の凶事が自分の吉事、露程も予測は広がらない。
正体不明の金色の力が仕掛けた悪戯だと片付けてしまうのが適切のような気さえしてしまう。
意図は分からないが、悪戯なんて行為は概ねそんなものだ。

 「信じられないけど、各拠点に報告だけはしておいた方が良いわよね。 何があっても対処出来るだけの準備はしておかないと。神々の凶と私の吉って……どういうことかしら」

─── 僕のことじゃないですか?

 「!! え……今の、声」

突如掛けられた音相に、玄関を跨ごうとしていたフィリアは言葉尻を失くした。
代わりに、眼を極限まで見開かせる。
許容し切れない驚きに心臓が止まったと感じた。

─── あれから永年もの月日が流れ、魔族は再び力を取り戻しつつあります。その代表例が

 「僕の再生、神の凶事」

フィリアはまずその外の景色を疑った。

 「前世の記憶まで再生されていたのは獣王様にも予想外だったようですが」

白昼夢だと思い、呆れて、だが心から心から夢幻でないように希った。

 「僕としては有り難い予想外でした」
 「うそ……」
 「嘘なんかじゃありません」

黒光、紫影、笑顔、存在。
どれもがフィリアの知っている彼だった。
そしてフィリアは詫びる。
神々凶兆・黄金竜吉兆。
それは本当でしかなくて、それがこんなにも嬉しくて尊いのなら、もう謝辞しか選べない。

 「さあ、フィリアさん。 輪廻の果て、再びこうして貴女の元を訪れました。どうやら、僕は僕のままのようです。 さて、これは黄金竜の吉事と成りますか?」

確かめるように一歩一歩を踏み締めるフィリア。
この場に相応しい言葉を模索してみるも、やがてそんなものは必要ないのだと思い至った。
彼を求める手は震え、頬には二人にだけに通ずる涙が数多の筋をつくり出す。
フィリアは何度も頷きながら、凛然と彼の名前を呼び叫んだ。

 「ゼロス!!」

嫌いだった、好きだった、敵だった、味方だった、戦った、戦った、戦った。
またそんな日が来るのかも知れないけれど、そうだからこそ、この腕に包まれる権利がある。


















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