どうやら早く着き過ぎてしまったらしい。
約束の時間がまだ先であると判じたゼロスは、手平に包んでいた小箱を鞄にしまった。
そ、と。春風の青さに引かれて上を窺えば、眩しい太陽と鉢合わせる。
時に苛烈でいて時に鎮まりを呼ぶ太陽光、それは闇に巣食う者にさえも平等に暖かみを授けるようだ。
光に導かれた微笑が滲んで果てる。
不得手である筈のものを、迂闊にも好いてしまうのは。

 「くすっ。止むを得ませんね」

─── 彼女に似ているからなのだろう。







 「ゼロス!!」

周囲に響き渡る大声を上げながら、フィリアがゼロスに走り寄った。
息も切れ切れな様相を呈すフィリアは相当に急いで来たと見える。

 「どうも。早かったですね」
 「いきなり呼び出さないで下さい!!」

肩を上下に動かしながら話すフィリアの眼差しは、多大な怒りを宿してゼロスに注がれていた。
その迫力たるや否や、焔を纏い、竜というよりは鬼を思わせる処である。
片手に打撃武器を持ちながら豊かに行使される圧力は、まさに古の猛者にうってつけだ。
下級クラスの魔族なら睨み一つで追い払えたかも知れない。
が、しかし。今のフィリアはあまりにも相手が悪い。彼は九分通りの猛者達よりも上手をいく者で、この世でも指折りの高等魔族。多少の威嚇程度では、暖簾に腕押し何処吹く風。
獣神官ゼロスは怯む事は勿論、不動の笑顔を崩さないでいた。

 「思わぬ時間が出来たもので。今の内にフィリアさん絡みの厄介事を済ませておこうかと」
 「私絡み? でも、だからって ”待ってます” って突然言われてもこっちにも都合があるでしょう!」
 「それでもこうして来てくれてるじゃないですか」

それに、ゼロスにはフィリアの本意を明察出来るだけの経験即が備わっていた。
フィリアがどれだけ尖った態度で隠そうとも、その下に喜色が控えていることくらいはお見通しだ。
彼女は一見素直でないように見えて、その実、どこまでも素直。
現に、こうして展開されている挨拶代わりの口喧嘩も、敵意とは無縁の応酬だ。

 「たまたま暇があっただけです。いつも迷惑なんですから!この非常識魔族!!」
 「お褒めに預かり光栄です」
 「誉めてません!」

ゼロスはフィリアと言い合う度に思う。
魔族と普通に口喧嘩をする竜族は世界中の何処を探しても彼女だけではないか。
いや、彼女だけだと決定付けても良い。

 「ああ、フィリアさん。その癖、直した方が良いって教えましたよね?」

そして、その逆もまた然り。
こんな真っ直ぐ過ぎる感情を好んで受ける魔族も自分くらいだ。

 「癖?」
 「僕に不用意に近付き過ぎる癖、ですよ」
 「何を言って?……ッ!!!」

フィリアの頬にゼロスが口元を当てた。
感触を与えるだけの深さであったが、フィリアの目を点へと変えるだけの効果はあったようだ。
彼女の顔はみるみると紅潮していく。

 「頬にキスしたくらいでそんなに照れなくても。ホントに可愛いんですから」

頬に留まっていた赤が全域に範囲を広げ、フィリアの顔を彩った。
ゼロスはトドメとばかりに一言付け加える。

 「それに……。それ以上のコトもしてるじゃないですか」
 「だ、黙りなさーーい!!」
 「そんなワンパターンな攻撃、喰らいませんって」

フィリアの武器攻撃を精神世界(アストラル・サイド)に入ることで避けたゼロス。
そこに逃げられては何も出来ないフィリアは、ゼロスがいた周辺に向かって武器を振り回す。

 「出てきなさい!!ゼロス!!」
 「さあどうしましょうか」

ゼロスは物質と精神の狭間で深息を交えてフィリアの姿を映した。

 「ゼロスから呼び出したんでしょう!!目的は何か知りませんけど、さっさと出てきなさーーい!!」
 「はいはい、少し待って下さい。今からその目的達成の為の準備に取り掛かります」
 「準備?」
 「ええ」

発言を止めると、ゼロスは持ち前の鞄から何かの小箱を取り出した。
フィリアに会う前にしまったその箱は、角に丸みを帯び、手平に乗る大きさにある。
ゼロスはゆっくりと箱の蓋を持ち上げた。

 「またよからぬ事を考えてっ」
 「正解と言えば正解ですし、間違いと言えば間違いです。僕にも経験のない事ですから判断に困ります」

開いた箱の中央には銀製のリングが鎮座していた。
頂点にはシンプルな宝石が付属し、精緻な細工が施されている。
ゼロスはそれに触れると物質世界にいるフィリアと視界を重ねる。

 「本当は魔族の僕がするべき事ではないんでしょうけど」

続いて、ゼロスは内心のみで呟いた。「プロポーズ、ねえ…」

 「え?」

ゼロスが今から起こそうとしている行動は、言わば、人間の真似事であった。
愛する者にリングを渡し、約束の言葉と共に永遠を誓う、一種の儀式的行為。
人間形をとる機会が多い竜族にもその風習がある。
数週間前、フィリアの買物に付き合ったゼロスは、彼女が熱心にこの輪を見ていたのを把握していた。
『欲しいんですか?意外に乙女なんですね』
『! ち、違います、ただ少し目に入っただけでっ。しかも意外とは何ですか、意外とは!』
『幸い手持ちもありますし、欲しいのなら買って差し上げますよ』
『結構です。これは……そういう物ではありませんから』
『と、言いますと?』
『……も、もういいですから行きますよ!生ゴミ魔族には指輪の意味も…分からないでしょうし』
そう言って、フィリアは諦めるように愛おしげに、清白な寂の感情を落としたのだった。
ゼロスはそれを拾い上げながら、先を進むフィリアの背に言い零す。

 「 "契約" ではなく "誓い" ですか…貴女らしい」

呟いた後、ゼロスは凄まじく憂鬱な気分だった。
誓いの儀式に対することではなく、それもあながち悪くないと思っている自分自身が。

 「さっきから何を言って…?」
 「大きな独り言です、気にしないで下さい。 今から戻りますよ」

だが、ささやかな輪一つによって、獣神官ゼロスが抱いているフィリア=ウル=コプトへの胸を具現出来るのなら。
互いが望んでいるのなら。
─── 示して見せようか。




右手に誓いの欠片を握り締めたゼロスが再び物質世界へと姿を現した。

 「準備完了です」
 「だから何の準備が…」
 「それは秘密です。ですが、直ぐにでも分かりますよ」

ゼロスの顔にはいつも通りを装った笑みがある。
握られた手に些少ばかりの緊張が走っているのは、彼自身も気付いてはいなかった。

 「フィリアさん、覚えていますか。この前に街へ一緒に買い出しへ出た時のこと」
 「? もちろんです。新鮮な食材が沢山買えましたし、壷だって掘り出し物があって」
 「惜しい。思い出して欲しいのはその後ですね」
 「その後は…確か宝石を扱うお店の横を通って指輪を見て ───」
 「正解です」

言うと、ゼロスはフィリアの左手を取って指へ口付けた。
手中に忍ばせていたリングを見せると、それを遅れて捉えたフィリアの瞳が輝きに染まる。

 「僕は貴女よりもこの世に長く存在しているんです。指輪の意味くらい知っているんですよ。 まさか自分が送る事になろうとは思いもしませんでしたけど」
 「な、ゼっ、ええっ!?」
 「驚き過ぎですよ」

フィリアは現状における心処理が間に合っていないのか、存分に混乱した様子を見せている。
何かを言おうとしては黙り、何かを言おうとしては黙るといった所作を何度も繰り返した。

 「確かに珍しい事だとは思いますが不思議ではない筈でしょう、僕達に限っては」

ゼロスはフィリアへ視線を流しながら言い募る。

 「─── きっと、祝福してくれる人は誰もいません。式なんてものも無理でしょうけど」

ゼロスがフィリアの指を誘う。

 「あ、の…ゼロス。これは、つまり……」
 「そう。一度しか言いませんからよく聞いて下さいね」

フィリアの左手薬指に通る指輪。

 「フィリア…僕は貴女を永遠に愛すると誓います」
 「……ゼロス」

フィリアの目には一瞬にして涙が溜まり、遂にはトツトツと溢れ落ち始めた。

 「私……っ」

涙を見咎めたゼロスが腕を広げ、飛び込んできたフィリアを強く抱き入れる。

 「泣き虫さんですねえ、フィリアさんは」

ゼロスがフィリアの髪を梳く。
そうして大事に撫ぜた後、直情を込めて彼女に寄せた。

 「受け取って…頂けますか?」
 「……答えなんて分かっているじゃないですか」
 「そうですね。でも、こればかりは聞かせて欲しいんですよ」
 「……」

フィリアはゼロスの服をギュと握り、小さくとも鮮やかな音で伝えた。

 「私も誓います。私も…貴方を、ゼロスのことを永遠に愛し続けます」

言葉は唇へと繋がる。




ゼロスはフィリアから貰い受けた体温が消える前にと、

 「たった今からフィリアさんは正式に僕のお嫁さんですね」

誰に言うでもなく宣言した。

 「…!お、お嫁さっ」
 「違いますか?」
 「ぅ。そ、そう…ですけど」




獣神官ゼロスとフィリア=ウィル=コプト、二人は名実共に、より親密で幸福な新しいスタートを切る。



















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