表裏一体の不思議<前編>

 「私・リナさん・アメリアさんで一部屋。ゼロ…生ゴミには当然必要ないとして、ガウリイさん・ゼルガディスさんで一部屋…」

宿泊帳に仲間各人の記載を進めていたフィリアはふと思い立って羽筆を置いた。
パカリと財布を開き、見詰めた中身。
途端、フィリアの頬を一筋の汗が伝った。
凍えるような寒さに見舞われているというのに汗はとどまる事を知らず、次々と水の筋を増やしていった。

 「フィリアー?何してるのよ」

急に遠い目をして固まったフィリアを不振に思ったリナが背後から覗き込めば、彼女の手にしっかりと握られていた財布の中が見えた。
中には数枚の乏しい輝きしかなく、ただの暗い空間が面積の大半を占領している。
リナは奥歯を強く噛み締めた。否が応でも事態の深刻さを悟った五感の全てが緊張に染まる。
また、視力に長けるガウリイも絶望的な中身を晒すそれを見てしまい、リナと同じく表情を強張らせた。

 「どうかしたのか」

続いての問いはリナの更に後ろに立つゼルガディスからだった。
返事はない。
意味が掴めないままのゼルガディスは眉間に皺を寄せる。

 「フィリア、リナ、ガウリイも……一体どうしたんだ、しっかりしろ」
 「ゼルガディスさん、たぶん聞こえてませんよ…」

全くの無反応にして空白の回答を訊いたアメリアが横から声を掛ける。
何か訳があったり、意識的に無視をしているという雰囲気ではないので、これは単純にゼルガディスの疑問が向こう側に届いていないだけだと思われた。
試しにアメリアも大声で呼び掛けてみるも、前衛三名の停止は黙々と継続される。

 「どうしましょうゼルガディスさん…これは下手な影縛り(シャドウ・スナップ)よりも強力そうです」
 「仕方ない。おい、ゼロス」
 「え、僕ですか」
 「フィリアを動かすにはお前が最適だろう」
 「私もそう思います。リナさんとガウリイさんは私達が目覚めさせますから、フィリアさんはお願いします」
 「はあ…道理には適っているかも知れませんが、間違いなく後が怖いと思いますよ」

リナとガウリイが激しく揺さぶられているのを後背にしながら、ゼロスはフィリアに歩み寄った。
顔を覗き込んだ所で、なる程これは綺麗に固まっていると思う。
ここまで接近を許し、尚且つここまで顔を近付けて彼女が動かない事など、天変地異の前触れだろうが、明日の天気が嵐のち槍だろうが、例え奇跡が味方をしようが、普通の状態であったならば考え難い。

 「フィリアさーん」

彼女の目の前でヒラヒラと手を振ってみるもやはり無反応で、そして次は頬でもつついてやろうかと指を立てた時、改めて見るフィリアの顔。
ゼロスの視界はそこで縫い止められた。笑顔を控え、開いた目で思わず凝視する。
今まで特にゆっくりと見る機会などはなかったが、変身術が苦手だと言う割りには整った美しい創りをしているらしい。 長い睫も白い肌も、本当に良く出来ている。そう、少なくとも、高位魔族が驚くくらいには。
竜族が使う変身術は確か魔族のそれとは大きく違った。
容姿を自由には形成出来ず、また、外見でさえも竜の姿をただそのまま人間型に反映するだけのものだったはずである。
要するに、術で姿形は他種族に模られているものの、今のこのフィリアの姿は”そのまま”だとも言えるのだ。
笑みを戻したゼロスの内心では勝手な推測が組み立てられる。
美意識というものは種族により様々であろうが、フィリアは竜の世界でもやおら惹き立つ容姿をしているのではないだろうか、と。

 「ゼロスさん、どうですか?フィリアさんは」

後ろでリナの肩を支えるアメリアの声を聞き、ゼロスはフィリアに魅入っていた事に気付かされた。
妙に関心していた。またどうしてか、激しい何かに揺さぶられた様な気もしていた。
ミイラ取りがミイラになってどうするのだと口端を苦く上げ、密かにその寸刻に驚きながら、ゼロスはアメリアに「もう少しではないかと」という何の根拠も無い返事を返した。
そして不意に、フィリアの不自然に固まった右手に目が移る。
やけに軽そうな口を空けた財布は結論を導きだすには充分に足りるヒントだった。
疑う余地もない。
これが、時間停止を引き起こした犯人だ。

 「これは…いやはや困りましたねぇ」

頭を緩く掻きながらゼロスが呟いた。
宿屋の前に食堂に寄ったのがフィリアの、いや、自分を除くメンバー全員の運の尽き。
山と森を越えてようやくこの街に辿り着いた彼女達は空腹に侵されていて、我先にと食堂へ向かった。
そこは一階が食堂で二階が宿屋というよくある店であったが、料理の腕は中々に素晴らしかったようで、溢れるのは度重なるおかわりの声、声、声。
シェフが材料不足によるギブアップを申し出るまで食べたのだから、この財布のリアルな結果は必然とも言えるだろうか。
折角街に入ったというのに、この財政難では今日も野宿が濃厚だろう。

 「黄金竜のフィリアさーん。弱小トカゲのフィリアさーん」
 「…!」
 「お早う御座います」

何やら鳥肌を起こす存在を直感で嗅ぎ取ったフィリアが意識を覚醒させた。
はたっ、と焦点が合えば、近くに生ゴミの姿。
狭い場所が故に後ずさる動きも叶わず、フィリアはゼロスとの距離を取ることに失敗した。

 「ゼ、ゼロス…!いつの間にこんな近くに!?近いですよ寄らないで下さい!寄らないで下さい寄らないで下さい寄らないで!!」
 「割りと前からいたんですけど」
 「なななな何かしたんじゃないでしょうね」
 「たかがフィリアさん相手に僕が何を…」

と、ここでゼロスの中で常に燻ぶっている悪戯心が華を咲かせた。
これはもうクセみたいなもので、自分の性格の一部でもあると重々に承知しているゼロスであるが、フィリアに対してはより集中的に芽生える機会が多いものだと思い、啖呵に微笑する。

 「ああ、そうでした」

ゼロスが悪華を糧にして行動へ出る。

 「フィリアさんがあまりに微動だにしませんので、こういう事をしようかなと考えていた所でした」

フィリアが疑問を浮かべてから全身を朱に変えるまで僅か一秒未満。
ゼロスの手はフィリアの顎を的確に捕らえていた。
ぐい、と近くなった顔はあとややもすれば零距離になってしまう。
フィリアは呼吸困難に襲われた。
ゼロスは意外にも強い力を行使している、脱出は不可能。
先程の鳥肌とは全く別の切り口から起こされた熱が胸の中心へ運ばれ、誰も認めていなければ許してもいないのに、それはもう過度に五月蝿く騒ぎ立てる。
神族の本能が嫌だと叫んでいるだけなのだと思いたい。息苦しい。けれど明るく暖かく快活で、だから底抜けに矛盾していて、とてもではないが落ち着かない。
ゼロスの顔が更に寸分近くなる、フィリアの心臓がドクンと跳ねる。
これはフィリアにとって不思議のみを重ねて覚えさせたが、決して負を与えるものではなかった。

 「これだけの事で敵の手中から逃れられなくなるとは修行不足ですねえ」

フィリアが最高潮に顔を赤くした時、ゼロスがそれはそれは楽しそうに言いながら手を離した。
フィリアの身体から力が抜ける。

 「だから僕一人にも勝てないんですよ、竜族は」

ご満悦という風に人差し指を立てたゼロスが左右に軽く振れば、フィリアは力任せに拳を振り上げた。

 「ゼーロースー!!あれ程、寄るなと警告したはずです、貴方は私が今ここで滅ぼします!!」
 「暴れたら修繕費が発生して更に財政難ですか。財布は当然空っぽに。低いフィリアさんの給料ではこれから大変ですね。僕には関係ありませんけど」
 「…っ!この生ゴミ馬鹿魔族ーーーー!!!」

痛いところを突かれたフィリアが不服だと言わんばかりに睨み付ける。
まさに一触即発の空気であるが、ここで急に二人以外の場所も騒がしくなった。
ゼルガディスとアメリアの溜め息にゼロスが振り返ると、リナとガウリイが影を持ったままで復活していた。

 「フィリア…」
 「はい?」
 「まさか今日も………今日も!今日も!のののの野宿だとでも言うのーー!?」

リナがよろよろしながらも声を張った。
応じるフィリアも負けじと大音で返す。

 「誰のせいですか誰の!!これでは明日の食事さえ怪しい状況です」
 「それは駄目だ、フィリア。俺が死んでしまう」
 「ガウリイさんだって、あんっっっなに食べたじゃないですか!!」
 「街を横目にこの寒空の下で指をくわえて寝ろと言うのぉおおおおー!?」
 「勿論です。簡易テントならありますから、それで我慢して下さい」
 「いやぁーーーフィリアの鬼!」
 「資金が無い以上はどうしようもありません!さぁ皆さん、街を出ましょう」

ゼルガディスとアメリアは何処か覚悟していた節があるらしく、歓迎はしないが仕方ないという足取りで扉をくぐった。恨めしそうな声を残しながらリナとガウリイ、やれやれとゼロスが続く。
全員が食堂兼宿屋の外に出た頃合で、店内奥から出てきた店員にフィリアが騒ぎ立てたお詫びとして一礼する。
頭を軽く下げ、上げた所で。

 「フィリア…?」

フィリアは懐かしい声に名前を呼ばれていた。
それは男性の声色で、当然リナやアメリアのものではなく、またガウリイやゼルガディスやゼロスのものでもない。
目の前にいる蒼髪碧眼の店員から発せられたものであった。
フィリアは彼の姿を認めると、懐郷の気持ちに胸が高鳴るのを自覚した。
今は自分と同じく人間の姿形を取っているが、この厳粛で温和な空気には馴染みがある。竜族にして古い友人、青竜(ブルー・ドラゴン)の一人だった。
リナ達は見慣れない人物がフィリアを呼んだ事に対し、予測こそすれイマイチ掴めない表情をしているが、ゼロスは対極にある者として男の正体を自然と知る。
彼の雰囲気は人間のそれではない。どのような関係かまでは知れないが、フィリアの名を親しさ込めて呼べる程度の仲はあるらしい。

 「お久しぶりです。どうして青竜の貴方がここに?」

瞳を輝かせ始めたフィリアは言いながら青竜と握手を交わした。
どうやら、しばし話込むようだ。

 「それでは僕はこれで」

ゼロスは努めて無関心でいた。フィリアが誰と話し込もうと関係のない事だからだ。
しかしそれは実質、正視を避けただけで、そうして努めなければ無関心ではいられない心であるという本義の所までは及びついていなかった。
だから分からない。急に面白くなくなってしまった理由が。
フィリアをいつものようにからかって、それなりに満足していたものが薄れてしまった理由が。

 「あれ、もう行くの?ゼロス」
 「次の任務がありますから」

リナに応えた後、ゼロスは靄がかったそれに反抗するように場から姿を消した。
フィリアが例の青竜と話す楽し気な声だけが耳障りな形で記憶に残っていた。























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