凛を尽くして


いつしかこんな時が訪れる。
ゼロスとフィリア、両者が一点の曇りも無く理解していた未来だった。
焦がれた相手は世の認識として敵対の者。ならば、「戦争」という二文字に時代が流れれば必ずこうなるのだと。
生来より備わりし戦の宿命はどう足掻こうとも変わらないもので、また、変える必要がない。
己が種族の正義と誇りは決して交わらない場所にあるから、確かに存在した愛という情を盾にしてみたとしても、それはまるで別次元の話だという様に平行を辿るのだった。
しかし、それを憂れ入ていても詮無いこと。覚悟という部類の決意も、とうの昔に完成していた。
ただ、互いの境地がどうあろうとも、一度個体として結び付いた線を「敵」という理由でわざわざ解く選択が二人の中には生まれなかったというだけの事。不均衡が故に磐石であった絆、繋がり ─── この程度で奪われる関係ならば元より始めたりはしなかったであろう。
だが、本能と呼ばれる領域が分かり切っている。知り尽くしている。在るべき姿を。
魔族は世界を滅ぼす為に。
神族は世界を守る為に。
共にこれを曲げるようには出来ていない。

だから、二人は対峙した。
破壊の跡のみ残る灰色の荒野で、昂然とした慕情を晒しながら、内々に一条の鋭さを孕みながら。
この対峙に特別な契約があった訳では無かった。それなのに二人が二人とも同じ彼方を描いていた。
何を後に置いても、いの一番に凛を尽くすべき相手は、懸けるべきは貴方で貴女。
永く積み重ねた時間が交差させた、二人だけの道に違いなかった。

 「お一人ですか、フィリアさん」

その道を、ゼロスが先に歩み出した。
膠着を弛ませた軽声が合図となり、フィリアも決意の軌道をなぞり始める。
完全に引き返せなくなった証に、ゼロスはフィリアのみを見、フィリアはゼロスのみを視界におさめた。

 「ええ。貴方には私だけで充分でしょうから」
 「ふ…ここまで結末が見えている勝負は他にないでしょうね」
 「…本当に」

フィリアが音を抜くようにして吐息で微笑んだ。

 「本当…ですよ。ゼロス」

あまりに透き通った眼差しを向けるフィリアに、ゼロスは呆れ顔で笑うしかなかった。
彼女が綺麗だと感じた束の間は、いわゆる ”今更” のことだったので、敢えて口にはしない。

 「その見慣れない得物が秘策なのでしょうかね。伝説類のモノではないようですが」

ゼロスが錫杖でフィリアの右手を指す。
フィリアの手にはいつものメイスではなく白い刀身を輝かせている剣一つ。
長さは一般的な武具店で売られている幅広の剣(ブロード・ソード)程で、放たれる瑞気から推考するにただの魔力剣でないことは一目瞭然。
だが世にその名を噂されている伝説級の武器を引っ張り出して来たにしては、膨大たるゼロスの知識幅にも合致するものが思い浮かばない。

 「黄金竜(ゴールド・ドラゴン)にのみ伝わる製法で磨かれた剣(つるぎ)に私の魔術を織り込んだものです。純粋たる神の力が結晶し、増幅されています。特別な詠唱をせずとも、」
 「僕を切り裂く事が、いえ…命中如何によっては滅ぼす事さえ可能」
 「それに、全ての攻撃が精神世界(アストラル・サイド)にまでダメージを及ぼす事でしょう」
 「魔族得意の空間移動は通じないと。…何とも興味深いですね。もっとも、フィリアさんの技量で上手く扱えるのか、僕に当てられるのかは疑問ですけど」
 「当たります、必ず」
 「己が身に過ぎた力は毒にしかなりませんよ。根拠をお教え願えますか?」
 「私が、私だからです」
 「は?」
 「ずっと貴方の…獣神官ゼロスの傍に居た、フィリア=ウィル=コプトだからです。他に提示すべき理由が必要ですか」

言い放ったフィリアが剣を構えた。

 「…いいえ。充分ですよ。期待以上の面白い回答でした」

ゼロスもフィリアに応えるべく錫杖を上げ、魔の力を纏わせる。

 「そんな愉快な回答を受けた以上、手加減は出来ませんよ」

その圧力にフィリアがジリと後ずさる。
身体の細胞が命が逃げろと訴えているような熾烈な恐怖。
空の色さえ塗り潰さんとする重い気炎は、ゼロスが本気である旨を容赦なく肌に伝播させていた。
今、目の前に立ちはだかりし存在は、紛れもなく「竜を滅せし者(ドラゴン・スレイヤー)」を冠せし獣神官ゼロス。正体不明の好青年の影も、躊躇などもまるでない。あるのは、絶対無二の排除のみ。

 「望むところです。ゼロスの方こそ、尻尾を巻いて逃げたりしないで下さいね」
 「 ”神” に誓ってそのような事はないと申し上げて置きましょう」

しかし、それはフィリアも同じことだった。
戦って戦って戦って、戦わねばならない。互いに目指す世界を叶える為に。
フィリアは引けた足を前に戻し、負けじと身体の芯に力を込めた。

 「……」
 「……」

途切れた会話の隙間、耳が悲鳴を上げそうな沈黙の中でゼロスとフィリアは同じ想いを巡らせた。
─── ああ、これが愛だとは
両者とも苦笑は禁じ得ない。
深淵の波紋を振りかざす訳でもなく、意地を嘗め合う訳でもなく、一寸の迷いさえなく貫き通せる相手。
息が詰まりそうな程にただただ「敵」が愛おしい。
咬み合う胸に他は走らず、感情の波に溺れる様を少しだけ許そうとした。

 「いつでもどうぞ。僕は準備万端です」

けれど、それではいけない。
互いの根幹に亀裂を生じさせるような逸脱を望みはしない。
対峙という選択が正しく無かったとしても構わないのだ。
継ぎ接ぎだらけの思慕でも、最後の零秒まで寄せていられるのならば。

 「参ります」

フィリアが地を蹴った。
ゼロスは宙を駆ける。
互いに直視した顔は目尻も頬も和らいでいて、そして悲しく切ない。
先に白刀を振り上げたフィリアの動向を伺う事もせず、ゼロスは真正面から応戦して見せた。
光が弾ける刹那にあっても、強引にフィリアと視線を合わせ続けるゼロスが口許に鋭利な半弧を描く。
相殺される黒と白。速さのみが交錯した時、シッとフィリアの胴に一筋の赤が咲いた。

 「ゼロス…」

フィリアが擦れた声で言った。
脇腹が痛むが、それよりも身体は彼の名を欲していった。
吐いた溜息にどれだけの感情を乗せても、足りない。

 「予想通りの結末、とでも言ったところでしょうか」
 「ゼロスが私に勝てる訳が、ないじゃないですか……」
 「僕もそう思っていました。フィリアさんに不可解な感情を持たされた時からずっと」

フィリアの背でゼロスが大地に跪いた。
上半身から足元までが白と裂かれ、それはフィリアの傷よりも遥か深い。
こうしている間にも失われようと点滅するその部位の回復は二度と利かないであろう。

 「魔族は精神生命体ですからねえ」

ゼロスがしみじみと言って、クスと笑う。
手加減などしてない。どのような武器を彼女が持とうとも埋まらない力量差がある筈だった。
理屈で考えて、ただの黄金竜如きが獣神官を上回るなんて絵空事にしか過ぎない。
だが一撃で決まってしまったこの現状。
説明は容易だ。魔族は精神生命体、つまりは、胸の事実からは残酷なまでに逃れらない。
彼女がただの黄金竜ではなかっただけなのだ。

 「…っ馬鹿」
 「反論は出来ませんね。任務も遂行出来ず、世界を終わらせる事も出来ず。ですが、まあ───」

流れ始めたフィリアの涙をぎこちない動きで救い上げたゼロスがニコリと続けた。

 「獣神官ゼロスにはこの上ない滅びとなりそうですね」

涙の膜を何度も拭いながらフィリアが精一杯を投げる。

 「さ、すが生ゴミゼロスですね。最後まで…こん、なにも意地悪だ、なん、て…」
 「当然でしょう。僕は魔族なんですから」
 「だいきらい、です。ゼロスなんて大嫌いです!」
 「おや。…それは困ります」

頬に掛かりかけたフィリアの手をゼロスが柔とした仕草で奪った。
開いた瞳が儚さと強さを持って絡み合う。
ふ、と呼吸を置いたゼロスは、あくまで屈託なく言葉を繋げる。

 「フィリアさん。これはちょっとした僕の我侭なんですがね」

咽の奥が張り付いたように嗚咽の声しか出ないフィリア。
それでも彼の台詞を聞き逃さすまいと耳に集中を寄せた。

 「輪廻の果て、もし再び巡り合わせがあったなら…また宜しくお願いしますよ」

フィリアは頷いた。頷くしか出来なかった。

 「顔、少し上げて下さい。フィリアさん」

次の瞬間にゼロスの顔が近付いて唇と唇が触れる。
無いはずの彼の体温が伝わるようで、フィリアの瞳からはまた涙が溢れた。
暖かいと思いながら、フィリアは考える。
これがきっと永遠になる。痛くて、なんて甘い短時の永遠。
そして、最後の永遠だ。

 「返事は?」
 「…は、い」
 「宜しい。満足です」
 「…、」

刻々と消えていくゼロスの身体。
フィリアはその辛酸な光景を瞬き一つせずに見届ける。
彼と歩み行き着いた先だ。どのような場所に出ても、目を逸らさないと心に決めていた。
もしゼロスが逆の立場でも同じ事をしただろうから。

 「フィリアさん」
 「え?」
 「─────────」

何事かを呟いたゼロスであったが、音に成らなかったそれはフィリアには聞き取れない。
答えを問う余地は許されないらしく、間もなく、ゼロスの身体は完全に消えてしまった。
まるでそこに何も無かったかのような消失だ。
これが滅びなのだと、フィリアは空を握りしめて目を閉じた。

 「ゼロス…」

しばし鼓膜は風のみを捉えていたが。
フィリアの魂が、とあるたった一言を掴んだ。

 『それでは、また』

最初から最期まで不器用な二人だった。
でも、掛け値なしに誇れる最愛の二人だった。

 「そうですね、また逢いましょう。約束ですよ?ゼロス」

フィリアは涙を流しながら、小さく笑った。


















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