表裏一体の不思議<後編>

ショルダーガードやバンダナを外し、軽装になったリナは柔らかさを謳うベッドに全体重を預けていた。
満足そうに息を抜き、意気揚々と言葉を放つ。

 「にしてもここの店員とフィリアが知り合いだったとわねー!しかも私達全員タダで泊めてくれるなんて太っ腹ね。得したわ〜」
 「タダじゃありません。お金が貯まったらちゃんと返すんですからねっ。当分は食事も一定の量で制限させて頂きます。買い食いも禁止です」
 「ぐっ。やっぱそうなるか」

フィリアがベッドに腰掛けながら鋭く訂正を挟んだ。
たまたま再会した友人の計らいで今夜の宿は確保出来たものの、フィリアの中ではあくまで借りとして留めている。
気にしなくて良いとは言われていたが、さすがにこれだけの人数分を甘えさせて貰う訳にはいかないだろう。

 「でもこんな所に青竜さんがいるなんて珍しいんじゃないんですか?」

帽子を脱ぎ寝支度を整えているフィリアの隣で清潔なシーツに顔を擦り付けていたアメリアが口を開いた。

 「ええ。私もまさか街中で旧友に会えるとは思っていませんでした。彼は今、ここの店主である人間の女性の方のお手伝いをしているそうです」
 「黄金竜と青竜って交流あったんだ?生活圏が離れてる気がするんだけど」
 「そうですね。確かにそんな風に人間の皆さんには伝わって…」
 「リナさん!」

突然勢い良く身体を起こしたアメリアがリナに握り拳を掲げる。

 「へ?どうしたのアメリア?」
 「違います!」
 「何が?」
 「注目すべきはそこじゃありません!」
 「?」
 「真に注目すべきは人間と青竜さんとの間にある隠された愛です!」
 「愛、ねぇ…あんなこと言ってるけど、フィリア」
 「彼は人間の暮らしを学ぶ為だと言っていましたが、深くは分かりませんね」
 「力を合わせて店を経営、一つ屋根の下での日々、それ即ち種族を越えた愛の成せる技!そこにはきっと様々な困難や素晴らしいものが…!」

あー。アメリアにスイッチが入っちゃたわね。
リナはそう言って優しく笑った。
盛り上がっているアメリアを端目にしながら、リナはフィリアに向き直る。

 「種族を超えた愛か…。ねぇフィリア、あんたはどうなの?」
 「何だかリナさん、とっても嫌な考えを私に向けてませんか?」
 「そうね。例えば一番身近な所でゼロ」
 「リナさん」
 「えっと……あははっ」

遊び半分のつもりで某後ろ姿がゴキブリ似の魔族を対象としてあげようと試みたリナであったが、フィリアの後ろに怒涛のオーラが見えた様な気がしたので、潔く諦める事にした。
フィリアの笑っているのに笑っていないこの雰囲気は、いくら数々の修羅場を越えてきた百戦錬磨のリナでも正直な所、怖い。

 「あはは。まーそれはないか。言ってみればあいつは極度のマザコンだしね」
 「マザコン?」
 「獣王(ゼラス・メタリオム)の話よ。前にちょっとだけ聞いた事があるんだけど、女性型?らしいわ。フィリアも知ってると思うけど、他の腹心が数対の手足を生み出した中で獣王はゼロスだけを創った。魔族にどんな感情があるのかなんて知らないけど、やっぱ特別に可愛いもんなのかも知れないわね」
 「特別…ですか」
 「ま!詳しい事は知らないから、今度フィリア直接ゼロスに聞いてみてくれない?私も知識として興味あるわ」
 「そんなの出来る訳ないじゃないですか!」
 「ははっ。そう言うと思った。でも私はゼロスとあんたのコンビ、結構悪くないと思うけど」
 「リナさん!」
 「じょーだんよ。冗談」
 「もうっ」

リナははにかんでから部屋の灯りを一段階落とした。
欠伸と長い伸びをして本格的な就寝体制に入り始めると、アメリアも一人で盛り上がっている事に力尽きたのか、いつの間にやらベッドに潜り込んでいた。
私もそろそろ寝るわ。はい、お休みなさい。フィリアは寝ないの?もう少しだけ起きていようと思います。そう、疲れを残さない程度にね。はい。

そんなリナとの暖かな会話を終えてしばらく経った頃、フィリアは静かに部屋を出た。
確かに疲れていて早く寝るべきだと身体が訴えているのだが、些か眠れそうな気配を身に感じない。
古い友人と会って、話して、気持ちが高揚しているからだと考えてみるも、いや、しかしそれにしては何かすっきりしないものがグルグルとしている。
リナとの会話半ばあたりから急に生まれたこれは強く存在を主張していた。
しかしそれでいて正体を欠片も見せないのだから嫌でも気になってしまう。
さっきのリナとの会話の中に気分を害されるような内容はなかった。ふざけて話していただけで、アメリアのヒートアップした語り口も楽しいものだったというのに。
フィリアは浅く首を捻った。
考えても考えても、グルグルしたものと上手く向き合う事が出来ないでいた。
当然気持ちの良いものではなく、かといって思い当たる節がある訳でもなく、考え過ぎて深みに嵌ってしまいそうだった。
フィリアは階段へと足を向けた。夜は酒場となっている一階、資金の面から言ってもとても飲み食い出来る立場ではないので、ただ通り抜けて外に出て新鮮な空気を吸おうと思っていた。
そうしたら低迷がちな気分も変わるかも知れない。
しかし、歩みを数十歩進めた所でフィリアは予想外の姿を見た。
二度見という形でその者を把握すれば、同時に視線がブツかってしまった。
フィリアの中のグルグルしたものが一瞬晴れるも、次にはより一層のそれに襲われる不思議な感覚。
視線の先の夜色の人物は何故かワインを片手にこちらを見ていて、無駄に微笑んでいる。

 「……」
 「……」
 「…っ!」

先に動いてしまったのはフィリアだった。
沈黙の戦いは早くも終了を迎える。

 「僕の勝ちですね」

机席に座っていたゼロスが言った。

 「どうぞ?」

対席を薦められるも、当然の如く一度は突っぱねるフィリア。
しかし、ゼロスと話した途端に胸に抱えている不可解な雲が晴れたり酷くなったりするものだからいつもの強い調子が出ない。
おまけに悲しいかな例え認めたくはなくともゼロスとて旅の一員である。今、ゼロスが口にしている赤ワインは誰が資金を工面するのかというリアルな思考も働いていた。
このまま見逃す訳にもいかない。

 「勝ち負けなんか争った覚えはありません。どうしてゼロスがこんな所でお酒を飲んでいるんですか!」

フィリアはしぶしぶと席に座ると、開口一番で不満を放った。

 「特に意味はありません。フィリアさんも飲みますか?美味しいですよここのワイン。名産らしいですし」
 「食い逃げするつもりですね。言っておきますけどっ」
 「おや?僕がお金を持っていないなんて一度でも言いましたっけ?」
 「!?」

フィリア絶句。
なななな、という単語の羅列は発せても、あまりの衝撃発言に二の句が言葉にならない。
ゼロスが徐に取り出した皮袋には多くもないが少なくもない量の金貨が入っていた。

 「聞かれなかったので言いませんでした。けどまあ僕みたいに人間の中に溶け込む任務を担っている魔族は資金を確保しているものですよ。あまり使う機会はありませんけどね……ってフィリアさん?」

机に突っ伏して何やらプルプル震えているフィリアはこれ以上ない程に竜へ戻りたい心境に駆られていたが、ここは室内、それも旧友の店にして既に恩がある場所だと必死の理性で繋ぎ止めていた。
怒りの行動が許される場所であったならば、それこそ存分にゼロスを叩きのめしたいものである。

 「怒りました?」
 「当然です!貴方、どこまで私を馬鹿にしたら気が済むんです。ここの宿泊代、払ってもらいますからね!!」
 「今まで僕が戯れに食してきた物の代金もどさくさに紛れてフィリアさんの財布から出ていた訳ですから、それは別に構いませんけど」
 「な!?」
 「知りませんでした?ほらリナさん達が食べる端で僕もコーヒーやら様々な物を頂戴してましたよ」

フィリア本日二度目の絶句。
がっくりとうな垂れたフィリアであったが、しかしもう怒ってもきりがないし仕方ない。何よりこれで旧友に迷惑を掛けずに済むのだと思い、そこだけは素直に喜ぶ事とした。
少し会話が落ち着いた所で、それを見計らっていた店員がフィリアの分のグラスを運ぶ。
運んでくれたのは例の青竜で、机にはグラス、フィリアには微笑み、ゼロスには荒々しい空気を置いていった。
あからさまに投げられたそれにゼロスは口端を妖しく上げる事で応えた。
彼もまたこちらが普通の存在でない事を、魔族である事を悟っているらしい。
神族で地位もあるフィリアがどうして魔族と話しているのか、彼には納得がいかないのだろう。
もっとも、フィリアが一階に下りて来た時点でゼロスという名を大声で出していたので、多少なりとも事情を知る者は ”あの” 獣神官である可能性が過り、先のような気配を投げざる得なかったのかも知れないが。

 「あの青竜、随分とフィリアさんと親しいようですね」

ゼロスはワインをフィリアのグラスに注ぎながら言う。
声を低くしたゼロスに微々たる疑問を覚えたフィリアであったが、気に止める程でもないと思い、旧友の背を見送りながらやや恥ずかし気に答えた。

 「彼とはもう数百年の付き合いですから。今はお互いの生活があって会える機会も減りましたが、子供の頃なんてよく一緒に遊びにいったり、術の練習をしたり、常に一緒にいたんですよ」
 「黄金竜の貴女が、青竜とですか?」
 「ええ。あまり世間には知られてはいませんが、黄金竜と青竜は昔は山一つ隔てただけの近場に群れで暮らしていたんです。時の流れと共に別の場所に住むようになりましたが、別段喧嘩別れをした訳ではありませんから、今でも仲は良いんです」
 「なる程」
 「本当に懐かしいです。彼は呪文の習得も早く優秀で、私は一つも勝てませんでした。憧れていた私はいつも彼の後ろに付いて行っていた気がします」

いつになく饒舌で滑らかに話すフィリア。
ゼロスは鮮やかに語り続けるフィリアを見て、先にも美しいと思ったものだが、今はそれの比ではない事に意識を引かれた。
喜怒哀楽どれにも当て嵌っていない割には感情豊かに映る彼女。
だが、ゼロスにはその掴み切れない綺麗な表情がどうにも頂けなかった。
悪くはないが青竜の名が出る度どうにも不快で、久しく純粋な不機嫌に捉われるゼロス。
しかし、何がそう思わせているのかはやはり分からなかった。
ゼロスはこの世を確かに永く生きてきたが、このような状態に陥った事は未だ一度たりとも無かったのだ。
ただフィリアがあの青い男の話を逐一綺麗に語るのが気に入らないという事実だけを、内々に飲み込めるだけであった。

 「ゼロスはどうです?」
 「…何がです?」
 「別にきっ気になるとか、きょ興味がある訳ではないんですよ!貴方が上司の方と普段どういう風に話しているのかと…」
 「獣王様ですか?」

次はゼロスが話す番だった。
突如出された上司という単語に思考を回した時、無為と恐縮したゼロスは不機嫌を強制的に散らした。
根本には残ったままのそれであるが、しかし直属者、それも己の王の名を出すのだから嘘でもそのような険を持っていてはいけないのだ。

 「僕程度がそうそう簡単に言及して良いものではありません。ですが、敢えて言わせて頂くのなら」

ゼロスが緩く目を伏せた。

 「高潔で気高く、それでいて絢爛なお方ですよ」

フィリアはゼロスが再び視線を上げた時、彼が嬉しそうな色を零した瞬間を見た。
少しだけ無邪気を思わせた紙一重だった。
ゼロスがその種の表情を見せるなんて事がどれだけ貴重なのかは短い旅の間でも分かっていた。
忘れかけていた胸の取っ掛かりがフィリアの中で蘇る。
飄然としているゼロスが瑕疵なく一切を寄せる相手。
主従関係だと知識として理解しているものの、それでも圧倒的だった。
フィリアは胸を無意識に押さえた。
しかしそれがどうしたと言うのだろう。ゼロスが獣王のことを悪く言う筈もないし、間違っても会う事などない相手に対し、何も思う必要はない。
ないはずなのに、フィリアの中では大きく渦が膨らみ続け、それは容易く無視をさせてはくれない。

 「竜族のような脆弱な存在には理解の遥か遠い所でしょうけど」
 「ゼロスの言う通りです。いつまで経っても遠くで縮こまっているだけの魔族の言う事なんて理解したくても出来ませんよね。竜族の力に怯えているのならそう言えば良いんです」
 「……」
 「……」

無言で立ち上がった二人が容量一杯の酸素を取り込んだ。
今の二人は、自分でも不明にして謎の不機嫌に見舞われている。
嵐の前の静けさという言葉がそこにはあった。

 「失礼しました。黄金竜よりも格段に魔力の弱い青竜の男に何一つ敵わない低レベルのフィリアさんに話すべき内容ではありませんでした。僕の落ち度です」
 「…!!大体、貴方にしても魔族なんて上の人からの命令があればホイホイと何でも従って…自分の意見は無いんですか!?考えるという頭を持っていないなんて…なんと哀れなんでしょう。さすがは魔族ですねっ」
 「このまま旅を続けてもフィリアさん程度では到底世界は救えませんよ。どうせならここでギブアップして、青竜の彼と一緒に店でも経営してみては如何ですか?お似合いです。最長老殿には僕が直々に報告して差し上げますよ」
 「こっちだって、もう少しマシな魔族を調査隊として送り出して欲しいですね。貴方の上司が何を企んでいるのは知りませんが生ゴミ種族は生ゴミ種族なりにもっと優秀な人だっていたはずです」 
 「こんな重要な任務にフィリアさんを派遣している無能種族の方に言われたくはありません」
 「ゼロスの上司だって、強いだけで何も出来ていないこんな駄目魔族をいつまでも派遣しているんですから無能以外の何者でもありません!」
 「今日は随分と獣王様に突っ掛かりますね…」
 「…っ!?気のせいです!ゼロスも何かと私の旧友を引き合いに出すのは止めて下さい、汚らわしいっ」
 「…な!?そちらこそ気のせいですよ。被害妄想ですか?怖いですねえ」
 「………」
 「………」
 「………」
 「………」
 「「ふんっ!!」」




互いに散々言い合った後、ゼロスは闇に、フィリアは部屋に戻った。
それぞれの場所で、ゼロスはどうしてあれ程までに青竜の男が気に入らないのかを考え、フィリアはどうしてあれ程までに彼の上司に対して言い掛かったのかを考えた。
結論、不明。
今の二人には、分からないものがあるという事が分かるだけであった。
この感情の名を知る頃、ゼロスとフィリアは今よりも更に考え、悩み、焦がれては大いに頭を抱える事となるのだった。























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