追いつけ運命

夜と朝の境目の時刻、不透明な兆しはやってきた。
精神世界(アストラル・サイド)に身を置くぜロスの領域が荒い乱れを捕らえる。
座標は模糊として掴み難いが、この感覚は知っていた。
巫女にしては騒がしい独特の気配を持つ彼女だろう。
落ち着きが無いだけならば変わり映えもしないものだが、ここまで揺れるのは特異なケース。
彼女の表情は恐らく…否、高確率で曇り模様だ。
乱れの成分は、焦りと不安・憂い・切実、それら全てが取り混ぜられている質感があった。
だがその中でも恐怖は感じていないらしく、肝心な負が伝わってこない。
負に連鎖して当然の乱れを孕みつつ、決して底には堕ちない心気を呈している。
何があればそんな摩訶不思議な状態に置かれるというのだろうか。
要らぬ好奇心が頭を擡げたゼロスは金の色を、フィリアの姿を拾おうと動いた。

 「おや?」

しかし、ここでフィリアの気配は途切れる。
疑問符を口にした今の刹那の間に、彼女の欠片一つさえも消失してしまった。
戦闘もしくは何か別理由による意識の転落だと仮定しても、些か綺麗に消え過ぎている。
こんな完璧は不自然でしかない。
面白い、と笑みを深めたゼロスは予測を巡らせる。
彼女に突然訪れた混乱と、完全とも言える気配の途切れ。
ならば、導き出される答えは。

 「───結界。捕らわれでもしましたか…フィリアさんは」

さてどうしたものか。そうたった一言だけ考えたゼロスであったが、直ぐに思考を停止させてしまった。
どうするか、それ以上を再思三考すること事態が酷く無駄な時間だった。
分岐点に立った時から答えは自ずと弾き出されていたのだから。

ゼロスは件の結界に右手を掲げ、力を流しつつ侵入を始める。
その始めた矢先の事だ。ゼロスの眉が疑問に寄った。
まだ僅かばかりにしか広げていないはずの破壊に、結界はあっさりと瓦解を認めようとしている。
薄壁一枚にも及ばない脆さ。まるで侵入を前提として作られたような、そんな無造作な構成。
こんな愚かな術を展開させる目的は? ─── ああそうか、コチラを誘っているのだ。
今更ながらに悟ったゼロスは首肯して微笑んだ。
だが、浮かべた不敵を思わせる笑みとは裏腹に、彼の内心は不服に満ちていた。
これ程までに単純で明快なエスコートにまんまと手を引かれてしまった。
稀にして椿事、フィリア相手でなかったならば切返せたものを。

全く彼女にはやっかいな感情を教えられたものだ。
好奇心という定義、その枠をいつしか越えていたフィリアという存在が自分の中にある事実を否定出来ない。
驚きを砕きながら疑いを掛けた昔日を思い返すも、精神生命体の己には無駄な事でましてやそれを軽視する方が滑稽に値する。
この干渉は、振れ幅は決して面白いものでは無いのにも関わらず。
しかし完全対極カテゴライズにいる相手によってもたらされた混線の一筋は実に予測不能で面白いのだ。
狂わされた方程式。イコールで結ばれる先はきっと、愛情という部類のそれ。

 「……馬鹿馬鹿しいですね」

なる程。
それでも、自分が手に入れたいと思う全てという訳。




ゼロスは捻じれを持つ空間に足を踏み入れた。
先程破壊した結界とはまた別の次元に繋がっていたこの場所は、雑多な定形がクロスしながら固定されていて、不安定で成り立っているような印象だ。
結界としての強固さは極めて強く、蛇足として神の流れも織り込まれていた。
無論、その流れはフィリアのものではない。
もっと魔族に近しい、そして神族にも寄るという矛盾したものだ。

 「ヴァルガーヴさん直々にご指名頂けるとは光栄です。僕を誘き出してどうするおつもりですか?」

ゼロスの鋭い視線が虚空に這わされた。
応えるヴァルガーヴが宙から姿を現わす、片手には意識を落としたフィリアを抱えて。
それを見たゼロスの中にある種の得心が生まれていた。
精神世界で感じた彼女の乱れも相手がこの因縁ある男だったのならば頷ける。
神にも魔族にも因縁あるこの男だったのならば。

 「貴様を探し出すのが結構手間だったんでな。悪いがお嬢さんにも協力して貰ったぜ。直ぐに気絶してもらったが」
 「へぇ…そういう経緯だったんですねぇ」
 「お前との鬼ごっこにもそろそろ飽きた。ここで決着をつけさせてもらう」
 「素晴らしい案です。しかし貴方の手間というよりは、僕の手間が省けたようにしか思えませんが?」
 「こんな手にあっさり引っかかる魔族など、俺の敵じゃない」
 「前半は残念ながら同意しますよ。ですが後半はどうでしょう。良いんですか?リナ=インバースを討つ前に僕に滅ぼされる事になっても」
 「ほざけ。お前はここで終わりだ」
 「魔竜王殿はもう少し作戦を練る方だったと記憶しています。受け継ぐ貴方がそれではとても勿体無いですね…。ねぇ?ヴァルガーヴさん」
 「黙れ!!」
 「おっと」

ヴァルガーヴはフィリアを空中に投げ出し、紅を纏った魔力をゼロスに向けて放った。
ゼロスは避けながら、落下していくフィリアを腕に捕らえる。
その時の衝撃がフィリアの覚醒を促したようだ。
目覚めた蒼の瞳は状況を読めずに瞬きを繰り返し、後に間の抜けた声を上げた。

 「……ん。……え?え、えぇええー!?」
 「あまり暴れると舌を噛みますよ、フィリアさん」
 「ぜぜぜゼロス!?ヴァルガーヴ!?というか、どこを触ってるんですか!!は、離しなさい!!」
 「言われなくても離しますよ。こんな重いものを抱えたままではいくら僕でも勝てる気がしません」
 「なっ!重いのは私が人間に変化するのに慣れてないからです!別に私自身がっ」
 「はいはい。それだけの元気があるのならば身体に異常はないようですね。アンシンしました」
 「棒読みにするくらいなら言わないで下さい、最後!!」

形無き地面に足をつけたゼロスがフィリアを下ろした。
継続されていた口論も、その隙を当然狙うヴァルガーヴの攻撃によって阻まれる。
ゼロスの背後から放たれた光弾が、フィリアを反射的に叫ばせる。

 「ゼロス!」
 「分かってますよ」

彼女の声に浅い笑みで応えたゼロスは、ヴァルガーヴの猛威を返す刀で反撃へと転変させる。
一撃目は避けたヴァルガーヴ、しかし重なるようにして続いた第二波にわき腹を掠め取られていた。
傷口から漏れる血液の量がその深さを物語る。

 「ヴァルガーヴ!」

それを見たフィリアがまた不安げに叫ぶ。
状況の把握に頭が追い付いていないフィリアではあるが、ゼロスとヴァルガーヴが争うとなれば死闘となるに足りる事くらいは理解出来る。
正直、どちらの味方をすれば良いのかも分からなかった。
けれど、どちらも傷付いて良い気もしなかったのだ。 

 「ちっ。五月蝿いお嬢さんだ」
 「おっしゃる通りです。人質には向きません、二度と実行しないようにお薦めしますよ」
 「は、それだけじゃないように見えるがな!!」
 「何のことでしょう」
 「弱点は作るもんじゃないぜ、獣神官さんよお!」
 「ふ…」

爆発を束ねるゼロスとヴァルガーヴに突然視線を当てられ、フィリアは身構える。
瞑った瞼の裏でも分かる程の烈光が炸裂し、フィリアはいくらかの痛打を覚悟していたが、しかしいくら待ってもそれは襲って来ない。
恐る恐る目を開けば至近距離にゼロスの背中。
ヴァルガーヴの攻撃を防ぎながら、肩越しにゼロスが振り返る。

 「…!!」
 「そこまで慌てるものじゃありません。どうやらヴァルガーヴさんも貴女を殺すつもりはないようですし」
 「ああそうさ。ダークスターの武器が見つかっていない今、黄金竜のお嬢さんはまだ役に立つかも知れねえからな。だがお前は邪魔だ…ゼロス!」

魔力一閃。
より圧力を増したヴァルガーヴの切り込みに今度はゼロスが舌打ちを漏らす番だった。
さすが魔族全体からも危険視される存在、簡単ではないか。
ゼロスは一先ずフィリアを己のマントで覆いその力を弾くが、容赦なく続き放たれるヴァルガーヴの攻撃は止むことを知らない。

 「貴女のような足手纏いがいると思うように戦えません。機を逃すのは惜しいですが、ここは引きます」
 「っ、誰も魔族に助けを願った覚えはありません!」
 「確かに。しかしフィリアさんに貸しを作っておくのも悪くはないかと思いまして」
 「迷惑です!!ゼロスに貸しを作るくらいなら、ゾンビに貸しを作る方がマシです!」
 「ゾンビ…これまた凄い選択をする人ですね。僕は昔、素直に水竜王に貸しを作ったものですが…」
 「水竜王!?貴方、どこまで竜族に不幸を振り巻いたら気が済むんですか!?一体何をっ!?」
 「まあ色々でしょうか。……この話はまた今度。ゆっくりと話し込むには不向きな場所です」
 「…後で話して貰いますからね!」
 「とにかく、僕に貸しを作るのが嫌ならばこの結界を破る役目はフィリアさんに担って頂きましょう。ここさえ破れば、僕以外の魔族にも見つかってしまいますから彼が動き辛くなる事は必然です。上手くいけばそのまま追っては来ない」
 「ここを…破る?」
 「この結界はどちらかといえば神の力を使用して創られている様ですし、壊すなら僕よりも貴女の方が早い。ヴァルガーヴは押さえておきますから、宜しくお願いします」
 「え、ちょっと!ゼロス!!」
 「術に集中して下さって構いません。一応、フィリアさんに及ぶ余波は防ぎます」
 「一応!?」

ゼロスとの距離が開き、それと同時にしてヴァルガーヴの姿も揺れる。
二人は目に止められぬ速度で攻防を反復させながら、更なる濃密さで戦い始めた。
フィリアは旨くゼロスに言い包められたような気がしてならなかったが、”一応” ゼロスが守ってくれているというのは確からしい。
真近くで魔法の炸裂が続いているのにも関わらず、風の一筋も流れてはこない。

 「…そもそも、何でゼロスが私を?」

終わったらゼロスにこの戦闘の経緯と、昔に何があったのか問い詰めようと心に決めながら、フィリアは結界に集中し始めた。
ヴァルガーヴが使う神の力、それは即ち竜族の力。
ならば、フィリアにもそのロジックが読み取れる純理が働く。
波動状に魔力を込め内側から壊すイメージで展開、フィリアの両手には熱が溢れる。
その熱は徐々に昇り、詠唱が終わると同時に白光に姿を変えた。

─── いける!

 「お見事です。フィリアさん」

途端、ふわりと身体が浮いたフィリア。
眼界には異音を散らしながら崩れ消えいく次元が映る。
気が付けばまたゼロスの腕の中にいる形となったフィリアは顔を朱に染めて言う。

 「だ、だからどうして、いちいち抱えるんですか!?」
 「勿論、フィリアさんに嫌がらせをする為に決まってるじゃないですか」
 「下ろしなさい、今すぐ下ろしなさーーーい!!!」
 「今の状況で下ろすと、空間の歪みに巻き込まれますよ。それがフィリアさんの望みならば下ろします。僕は遠慮しますけどね」
 「そんな…、卑怯ですよ!」
 「いえ、卑怯の前に事実ですから」
 「っ…屈辱です」
 「お互い様です。僕としてもフィリアさん絡みでは様々な角度から屈辱です」
 「……?」




ようやく地に足を乗せたフィリアは、真っ先にゼロスに詰め寄った。
そんなゼロスは心底楽しそうな表情をしているので、フィリアの怒りゲージは益々上がるばかりだ。

 「目が覚めたら、ゼロスとヴァルガーヴが戦っていました…何があったんです!?それに水竜王様がどうだとか、きっちり話して貰います!!」
 「水竜王の話は長くなりそうですから、またリナさん達にでも訊いて下さい。ヴァルガーヴに関しては…」
 「関しては!?」
 「正直な話、フィリアさんが僕を誘き出す為の餌にされたというだけですよ」
 「??なんでゼロスを呼ぶ為に私が選ばれるんですか?接点が見当たりませんっ心外です!」
 「さあ、何故でしょうね」

大袈裟に肩を竦めて見せるゼロス。
彼にからかわれていると知りながらも、それでも何とか一矢報いる為にフィリアは口を開く。

 「大体、それで本当にゼロスが誘き出されるなんておかしいじゃないですか。助けてくれた事には感謝……しますけどっ」
 「フィリアさん。それ、怒りの矛先がだんだんとズレてきてませんか?」
 「貴方らしくないと言っているんです!!」
 「それでどうして僕がフィリアさんから怒られるのか分かりませんが…まあ良いでしょう」
 
ゼロスはフィリアの耳元に顔を寄せる。

 「僕が誘き出された理由、ですか?」
 「───!?」
 「それは」

零に近くなった距離に動揺しているフィリアを端目に、ゼロスは低くそっと呟いた。

 「それは秘密です」

何を言うのかと思えばお決まりの台詞だった事に、ただでさえ臨界に近かったフィリアの怒りが頂点を突破する。
ゼロスが愉快に踵を返して逃げると同時、月が未だ輝く東雲を背景にフィリアの盛大な怒声が響いたのだった。























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