極彩色の黒

罠。
そんな単語が口を離れた時にはすでに、景色は光に塗り替えられていた。
フィリアの足下にはトラップ型と思われる魔方陣が白を持って存在を示している。
地面と同化される様にと巧妙な細工が施されていたその円上を、フィリアは運悪く歩んでしまったのだ。
バチバチと弾ける大音が響き渡り、彼女の身体は歪んだ空間へ引きずり込まれる。

 「フィリア!」

一番近くにいたリナが咄嗟に手を伸ばす。
油断していた ─── そんなリナの舌打ちはパーティーメンバー全員に当てはまる。
旅の途中に迷い込んでしまった森。その中において偶然発見したこの遺跡は、あまりにも有り触れているタイプの佇まいだった。
この地域では目立った伝説伝承等は聞いておらず、また、この森が人類未踏という大層な場所でも無いのだから、誰もがちょっとした探索程度に身構えていたのである。
警戒は勿論していた。しかし、万全では無かったのだ。
リナ達とフィリアの距離はみるみると離れて行く。
こんな時に限って、空間作用を得意とする某魔族は”仕事”を冠した別行動を取っていた。

 「くっ!」

更に身を乗り出して手を伸ばそうと試みるリナ。

 「大丈夫です!」

しかし、そんなリナをフィリアが声で制した。

 「大丈夫って…!?」
 「私に直接的な害はありません!」
 「何でそんな事が分かるのよ!?」

フィリアは魔方陣の一部を目端に映しながら言った。

 「この陣には見覚えが…!遺跡内の別所に転送されるだけだと思います」

光が強まる中、フィリアは呪の連なりを読み取る事に成功していた。
持ち得えていた知識から咄嗟に引っ張り出した結論。
推測の域は抜けないが、これは恐らく、同種の陣が記されている別の場所へと転化させる移動タイプのモノ。
罠と言うよりも、この遺跡の先人が便利目的で使用していただけの呪が年月を経ても生きていただけなの知れない。

 「リナさん、最奥で合流を!念の為、通常の道を辿って来て下さい」
 「分かったわ。古い遺跡だから、飛ばされた先にデーモンやらが住み着いている可能性もある。大丈夫だとは思うけど用心しなさいよっ!」

フィリアと呼吸を交わしたリナが身を引いた。
少なくとも命に関わる事態だけは避けられたのだと、メンバーの顔が安堵する。
仮にフィリアがデーモンやゴーストや何かに襲われたとしても、神族である彼女が本気を出せば、容易にあしらえるだろうから。




フィリアが強制的に移動させられた場所は何ら特徴のない正方形の部屋だった。
広さは彼女がドラゴンに戻ったならば半分も入りきらないだろう程のスペースで、石造りの壁と床が黙々と並んでいる。
幸い、戦闘を行なう必要はなさそうである。周囲には何者の気配も感じない。
フィリアは足元に目を遣った。
彼女の予想通り、先程の場にあったものと全く同じ形の魔法陣が描かれている。
試しにもう一度踏んでみるが、これまた予想通りに無意味に終わってしまった。
こちらからではこの魔方陣は反応を示してはくれない。
頷いたフィリアは、浅くしゃがみ込んで魔方陣に触れる。

 「残念…」

しばしそのままで沈黙し、静かに、ただ静かに呪と語り合ったフィリアが更に幾分の間を置いてから、笑んでその場を離れた。
陣を知っていたからと言っても、構造を完璧に把握する事は出来なかった。
それなりの時間を掛ければ不可能ではなさそうであるが、今はそれを掛ける場面では無い。
あわよくば術の再構築をと英図していたフィリアは諦める選択肢を取らざるを得なかった。
自力脱出の道を探すしかない。さてどうしたものかと、部屋をグルっと見渡してみたフィリア。
すると、どうしてか頭の中に大きいクエスチョンマークが浮かぶ。
初めは何に対しての疑問だったのか分からなかったが、目を擦って改めて部屋に視線を配った時にその謎が払拭された。

 「出口が無い…!?」

そう、部屋は見渡す限り壁だけであった。
これでは足で移動するにも、何処にも行けない。
確かにフィリアもテレポーテーションに酷似した移動手段を持っているが、あれは着地点を考慮してからでなければ使えないものである。
どこぞのパシリ神官の様に好きな所へ渡れる代物では無いのだ。
さすがに困ったフィリアは思案に耽った。
……出口が無ければ作るのみであろうが、閃光の吐息(レザーブレス)や炎の祝福(フレイムブレス)は威力が強過ぎて遺跡そのものを破壊してしまう恐れが強い。
ドラゴンに戻る事も同様の危険があり、いくら力がある方だとは自覚していても、人間形態ではさすがに石造りの壁を素手で破壊するのは……素手で……素手で、破壊……?

 「あ!コレがあったわ」

フィリアはスカート下から自慢の武器であるモーニングスターを取り出した。
尋常でない重さを誇るこの武器と自力を駆使すれば、こんな壁は紙も同然。
即座に壁端に寄ったフィリアは思い切り腕を振り上げて息を吸う。
握った指に力を充電し、そして次の一瞬でその鈍器を石へとぶつけた。
手加減無用とばかりに重厚な音が部屋全体に共鳴し、波打つ様に震える。

 「………!」

だが、壁は一片も欠ける事なく、彼女に手の痺れという形で答えを投げ返してきた。
まさかの結果に驚くフィリア。
普通ならば彼女の力を乗せたモーニングスターで、石程度を破壊出来ないはずがない。
見た目は何の変哲も無い石造りの壁であるが、何か特殊な硬石を使用しているのだろうと考えられる。
どんな目的で作られた部屋かは知らないが、今のフィリアにとっては迷惑な事この上ない構造である。
ブレス系統の他に扱える神聖魔法も強力なものばかりで、この場では唱えるに適しておらず、フィリアは完全に閉じ込められてしまった。

 「どうしようかしら…」
 「どうもこうも。まさかフィリアさんの馬鹿みたいな怪力で壊せない物があるなんて」
 「そうなんですよ。まさか私の怪り……?」
 「さすがの僕も驚いちゃいました」
 「い、いやぁああぁあああー!!!」

フィリアは突飛に姿を現した男の姿を見て、脱兎の如くその場を後ずさった。
聞き慣れた声、見慣れた黒衣の服装、接し慣れたその笑顔。

 「ななな何でゼロスが!!?」
 「人の顔を見ていきなり逃げるなんて失礼にも程がありますよ。竜族は礼儀さえもなってないんですねぇ」
 「う、うるさいです!いつもいつも気紛れに現れたり消えたりする貴方に礼儀うんぬんを言われる筋合いはありません!!第一、貴方は ”人” じゃなくて───」
 「ああ。確かに人ではなく僕は魔……」
 「─── 生ゴミでしょう!そこから動いたら廃棄っ!廃棄しますからね!!」

ぴしっ、と。ゼロスの笑顔に青筋が浮かんだ。

 「僕が生ゴミだったら、フィリアさんは危険ゴミですか?あれって大抵はややこしいんですよね〜。使えなくて邪魔で危ない所とかもうフィリアさんにそっくり」
 「生ゴミなんて大抵は残飯だったり、虫がわいたり、ハエや害虫を呼んだりするんですよね。あ、でもゼロスに関しては見た目からして黒光りしている害虫でしたっけ?皆から嫌われている所とかもうゼロスそっくりで困るくらいです」
 「トカゲとお仲間の様な姿をしているゴールドドラゴンに外見を咎められても痛くも痒くもない。トカゲは食する事が出来ますが、ドラゴンは無駄に名前だけ偉そうで、おまけに弱いだけですもんね」
 「な………な、なんですってー!!」
 「と!変身はなしですよ。リナさん達を生き埋めにしたいのなら別ですが」

鬼神の如く怒りのオーラを纏っていたフィリアの動きが止まった。
リナ達の名前が出た事で何とか怒りを飲み込み、言い争いをしている場合ではないと思い直す。
そうだ。そもそも、どうして彼がここに。
フィリアは大きな深呼吸を一つ落とし、ゼロスとの距離を一歩詰めた。

 「で……何でゼロスはこんな所に」
 「僕は迎えに来て差し上げたんですよ?フィリアさんが皆さんから離れて二日は経過しています」
 「二日!?そんな…私はまだここに着いたばかりで…」
 「空間を介して移動させられたのなら、多少の時差が生じていても不思議はありません」
 「それはそう…ですね。リナさん達は?」
 「さぁ。もしかしたら、貴方を置いていく話でも纏めているかも知れませんね」
 「あ、ありえないとも言い切れない…」
 「僕は別にどちらでも構いませんが」

一拍の間を挟んでから、ゼロスは手を差し出した。

 「どうしますか?」

フィリアはその手を見た。否、睨んでいた。
”どうしますか?”という問い。
先程のゼロスの冗談には軽く応えてみたものの、彼はきっとリナ達に言われてここへ来ている。
リナ達のメンバー全員が、行方知れずとなっている仲間を悠然と置いていけるタイプの人間では無い事をフィリアは知っていた。
状況から察するに、あの出来事の後にでも合流したゼロスが事情を教えられ、渋々とこの部屋を探し出したのだろう。
でなければ、わざわざこんなメリットの無い所へ彼が現れる理由が見つからない。
ドアも無い完全な密室に閉じ込められているのだから、リナ達の誰もがこの場所を見つける事は叶わなかったに違いない。
他に打つ手があるとしたら、目の前にいる彼。ゼロスという最短ルート。
数日が経過してしまっている現実を考えれば、全員に相当な心配を掛けてしまっている。

 「………」
 「フィリアさんがどうしても自力で脱出すると言い張るのならば」
 「……」
 「僕はこれでおいとまさせて頂きます」

引かれようとするゼロスの手をフィリアが掴む。
悔恨の表情を浮かべているフィリアは、何やらブツブツと竜神に向かって懺悔の言葉を並べている。

 「あの?」
 「火竜王様…申し訳御座いません。魔族の手を借りなければならないなんて生涯の汚点にして恥。これは仕方なく、本当に仕方なく、本当の本当に仕方なく…」
 「はぁ…。では行きますので、しっかり掴まっておいて下さい」




急に焦点がブレたかと思うと、フィリアの前方にリナ達が映った。
ゼロスの空間干渉によって運ばれた場所はかなり正確な座標だったらしく、距離はとても近い。

 「フィリア!!」
 「良かった〜心配したんですよ!フィリアさん」

フィリアが何か言おうとした所で、彼女の姿を認めたリナとアメリアの方が先に台詞を投げる。

 「皆さん、ご心配をお掛けしました」
 「やー。でもなかなか来ないから、思わず置いて行こうかと思ったくらいよ」
 「酷いです、リナさん!」
 「ははっ。冗談よ、冗談。でもあんたの事は結構探したつもりだったのよ。この遺跡はそれほど部屋数も無かったみたいなんだけど…何処にいたの?」
 「位置の把握は出来なかったんですが、何か出口のない特殊な部屋に飛ばされてしまっていたみたいなんです」
 「出口の無い部屋…か。それは災難だったわね」
 「壁を壊そうとしても無駄でした」
 「そうなんだ。ますます災難…って、じゃぁどうやって抜け出したの?いきなり私達の前に戻れた様に見えたんだけど」

不思議そうに問い掛けるリナに対し、フィリアはきょとんとした顔を浮かべた。

 「え?それはリナさん達がゼロスに言ったんじゃなかったんですか!?」
 「ゼロス?あいつ忙しいから、しばらくは別行動って前に言ってたじゃない。話をする以前に会ってもいないわよ。現に今もいないし」

フィリアは後ろを振り返ったがゼロスの影は見当たらなかった。

 「ええーーー!?」

フィリアは思い出す。
そう言えば、彼はリナ達との接触の有無を言及してはいなかった。
ゼロスが確定的に告げた言葉は ”迎えに来た”と”時間の経過”という目的と真実だけだった。

 「ははぁ。なる程ね〜そういう事」

慌てるフィリアをよそに、繋がらない会話の先を見通したリナはニヤリと笑った。

 「そういう事ってどういう事ですか、リナさん!?」
 「意外とゼロスも隅に置けない男、って事よ。あと過保護?」
 「全く意味が分かりません」
 「良いんじゃない、分からなくても。こっちは面白いし」
 「駄目です!教えてくれないと次の宿代と食事代はリナさんにもって頂きますからね!」
 「げっ」

フィリアとリナのそんな問答が遺跡内に響いていた時。
やれやれ…という溜め息がアストラルサイドから漏れていたとかいなかったとか。
























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