ビッグガンガン本誌より 【シノハユ the dawn of age】 <第10話・はやり3>


「これはよろこんでもらえるかもっ あぁ…もう東京に行っちゃったんだっけ………」


ぬ。これはまさしく ───
「ははっ。また2人分作っちまったぜ…あいつはもう居ねえってのによ……」 (SE:雨音)
状態じゃないですか!!
冒頭で 「そうなんだ………残念」 と言いながらも、強く笑って見せたはやりんと合わせると切なさが倍増しますね。
盗んだバイクで走り出したい気分になります(え)

でも、はやりんの優しさを別に置いて、少し現実的に考えてみると。
ガン患者さんには確か甘い物はあまり良くなかったような……
(※患者さん側としては ”甘物を余計に食べたくなる” という風な症状が出る事もあるみたいだけれど)
はやりんは前回にまふふの口から ”抗がん剤” という単語を直接聞いている筈だけれど、ここらへんの理解度は、やはり小学2年生では難しい?
うん。普通に考えると難しいだろうな。
んでもって、後々の描写を含めて一番側にいるマネージャーさんがまふふの食事に制限を掛けないことから……
まふふは本当の本当に危ないのかも知れない。
いやぁあああああ 。・゚・(ノД`)・゚・。


「あ そーだ そーだ クリームソーダ」


は?(真顔)

勇者かこのお母さんはww そんなド直球なダジャレ久しぶりに聞いたぞッ!!ビックリしたわw
「小2でしょーに」を含め、たぶんこれは美人なママさんじゃなかったら怒られるやつだったw
もう勇者過ぎて好き(ええええええええ)
─── しかし、そんな口ぶりとは裏腹に、はやりんのお母さんはその実しっかりとした人でしたね。
子供宛の怪封筒は抜け目なく確認するし、その旨をちゃんと子供に伝えてたし、子供の頑張り尊重するし、応援するし、その上で安全まで確保するし……何て出来る母親。同じ女として素で憧れてしまう。これぞ ”母” って感じ。
はやりんもはやりんで、しっかりと交通費の高さを懸念するという気遣いね。あんた小2でしょーに(あ)
良い意味で、『この母にしてこの子あり』・『この子にしてこの母あり』 やねえ。
でもま、慕もそうだったけど、もっと理不尽に我儘言ってくれても良い気もする。この年齢なら。


あと、はやりんが作っていたお菓子が、今度は髪飾り型になっていたのは素敵ですね。
この形に作ろうと思ったら、”型” から自作しなければいけなかった筈なので、はやりんマジ努力家。
まふふに披露した手品の時のように、裏でせっせせっせと頑張ったと思われる。
こんなの貰えたら誰だって絶対嬉しい。
手放しで喜ぶよ。

「いえ もともと土日はこちらで働く予定でしたし 経費で遠出ができて嬉しいです」
「よろしくね」


ってか、高橋さんも 「経費で遠出ができて嬉しいです」 なんて、そんな完璧に近い、気遣い無用を見せるのか。
優しい流れだ。
瑞原家からの高橋さんへの信頼度は激厚なのでしょうねえ。
自分の子供を託せる存在な訳ですし。
心がほっこりとした一幕だった。


あと、この人混みでちょっと汗を掻いてる高橋さんが可愛いw
はやりんまだ小さいし、人混みに紛れちゃうと追うのも大変なんだろうねえ。
まふふのマネージャーさんとの 『後は宜しく・了解』 的なアイコンタクトもスゲー良かった。
─── あ、でも帰りはどうするんだろう?高橋さんずっと外で待ってたりするのか……?
いや、チケットはたぶん最低でもペアで届いているモノだとは思うけど、アイドルコンサートレベルでの人混み混み混み&人混み混み混みの中で、バレないように付き添うってのはメチャクチャ至難の技だし大変だな。
見失う可能性も高いだろうし、忍者とかでもなければ無理なのでは……
はっ(゚Д゚)
なるほど……高橋さん忍者の末裔説か……(落ち着くんだ)
それならば全てに納得がいく。

「食べてからのほうがイイ感じでイケるってー」
「ホントかー?」


まふふとマネージャさんの、この砕けた関係が結構好きw
しかし、マネージャーさんってやはりまふふの ”状態” は全て把握しているのですよね?
医者とも話していましたし。知る義務も権利もある人でしょうし。
後のベッド描写から、まふふが治ったとは考え難いですから ─── そんな中、鋼の心で明るく話しているのだとしたら。
とても胸が痛い。
ひょっとしたら、このライブをOKするかしないかで、事務所のお偉いさんと泣きながらモメた背景があったりするのではないだろうか。
とても辛い。

「病院のみたいなベッド まだ病気残ってるのかな…」


うむ。このニュアンスだと、やっぱりはやりんは ”抗がん剤” という単語から ”ガン” という病気を連想出来てはいないようだ。
そしてその病気の性質も。
完治率の低さも。
あ、ヤバイ泣けてくる……


私 ちょーがんばるから!

うわぁああああ格好良いぃいいいいいいい!!!!
これは叫びたいぞ!!
全力だッ!!

ま ふ ふ ー ! !


余談ですが、まふふのポーズを見てこの原村さんを思い出しましたw
両者とも方向性は違えど、その様はさすがのアイドル(え)


そういえば、Twitter上での 『らいすた様』 とのやり取りの中で、 『美空ひばりの不死鳥コンサートを連想しました私』 という言葉があって、これに凄くハッとしました。
確か、美空ひばりさんも病気が完治しないままコンサートをやっていて、楽屋にベッドを置いていたりしてたんですよね。
それはもう壮絶な ”闘い” だったようです。


1988年4月11日、東京ドームのこけら落しとなる「不死鳥コンサート」を実施。
ひばり自身フィナーレの「人生一路」を歌い終えた際、思い通りに歌えなかったのか首を傾げたという。
この頃のひばりは既に体重が明らかに減り、痩せ始めていた。
前年の退院会見の頃と比べると一目瞭然であったが、脚の激痛に耐えながら合計39曲を熱唱した。

その東京ドーム公演当日は
会場に一番近い部屋を楽屋とし、簡易ベッドと共に医師も控えていた。
また、万一の事態に備えて裏手に救急車も控えていた。
公演の際に楽屋を訪れた親友の浅丘ルリ子は、まるで病室のような楽屋とひばりの様子に衝撃を受けたと語る。
ベッドに横たわっていたひばり。
浅丘が「大丈夫?」と問いかけると、ひばりは「大丈夫じゃないけど頑張るわ」と答えたという。
ドーム公演のエンディングで、約100mもの花道をゆっくりと歩を進めたひばりの顔は、まるで苦痛で歪んでいるかのようであった。
とても歩ける状態では無いにも拘らず、沢山のひばりファンに手を振り続けながら全快をアピール。
そのゴール地点には息子・和也が控え、ひばりは倒れこむように和也の元へ辿り着いたという。
当時マスコミ陣営はひばりの「完全復活」を報道したが、ひばり自身にとっては命を削って臨んだ、伝説のステージとなった。





まふふは大丈夫だろうか。
この後に倒れてしまわないだろうか。
ちょっと胃がゾワゾワするくらい心配だ。
早く次の25日が来ないかな。


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