さすが、と呟くと同時に竹井久はパソコンから目を離した。
手先の操作を携帯メールへシフトする。
後ろからその様子を見ていた福路美穂子も温容を湛えた。
パソコンの枠内には、今年度の [プロ麻雀士・合格者] を示す試験番号が整列されて並んでいた。
朝一の郵便通達よりやや遅れて開示される数字群の中には、当然竹井久を表す番号が見られたが、竹井が確認していたのは己のものではない。
メールの送り先、高校からの盟友でもある加治木ゆみのものだった。

竹井・福路とは別の大学に通った加治木ゆみ。
しかし、同じ東京という場所で麻雀を続け、連絡を取り遊び、勝利を掛け闘い、友としても好敵手としても二人とは深い交流があった。所在もそう遠くない所にあり、大学生活半ばからは鶴賀学園を卒業した東横桃子も合流、四人は頻繁に顔を合わせていた。
そんな中で、竹井と加治木は、よく自分のパートナーである福路と桃子について話した。
食事がてらにアルコールを飲めば、あまり耐性のない福路と桃子は睡魔に奪われてしまうので、会話の舵は無意識の惚気へと切られるのだった。
美穂子はモモは、と双方で慣れているが飽きない話をしていた時だった。
偶然、竹井と加治木は自分達が同じ未来を見ていると知る。
それは即ち、プロ試験合格という大目標。次に、互いのパートナーに一生分の告白を、という本目標の二点。本目標を前に躓く気はない。
やっぱりゆみも決めてたんだ。 ああ、久もな。
長い付き合いから、竹井も加治木もそんな予感はあったので、自然と握手を交わしたものだった。
例え、試験会場で火花を散らすことになっても恨み合いは無し。
そして、願わくば共にプロの道へ。
叶ったあかつきには───

 「次はゆみの番ね」

携帯画面に送信完了の文字が流れた。
竹井はこのメールの返信を即座には期待していない。
彼女は今頃、朝の自分と同じような状態で、東横桃子のことを考えているだろうから。




加治木ゆみは喜ばしくも厳しい表情で携帯電話を閉じた。
「さすが」と送りたいのはコチラだと思い、二重の意味を含めたおめでとうを呟いた。
加治木は考える姿勢を取りつつ、上着の内ポケットに意識を沿わせる。
懐中にある微弱な起伏を感じながら、東横桃子のことを考えた。

 「どうしたっすか、先輩?」

雰囲気を転じた加治木に向かって、ソファ上の隣に座っていた桃子が首を捻る。
視聴していたTVも区切り良く終わりを迎えたらしく、電源が落とされた。

 「久からメールが届いた」

答えた加治木はこの後をどう続けたものかと瞬時にして長考する。
メールの内容を、桃子に ”正しく” 伝えるには今しばらくの時間が欲しいと思う。
加治木が懐中に忍ばせた、今日のいつでも渡せるようにと忍ばせ備えた指輪が日の目を見るのは、まさにこれからなのだ。

 「祝辞のメールだ。プロ試験の件でな」
 「あー、なるほどっす」

竹井からのメールには、試験合格に対する祝辞と、今朝を以て ”散らない桜” が咲いたとの報せが書かれていた。
勿論、加治木も自身の合否などとうに把握済みであるし、大学の後輩で恋人、今の暮らしを共にしている東横桃子にも報告が済んでいる。
『先輩おめでとう御座います!凄いっす!凄いっすー!!』
『モ、モモ落ち着け。カーテンが開いている、この位置からは外に』
『先輩最高です!』
朝はこの話題で持ち切りだった。
興奮冷めやらぬの状態もあり、加治木は昼近くを待って桃子に切り出そうと考えていた。

 「モモは相変わらず久が苦手か。 話が出ると、いつも少し渋い顔になる」
 「苦手というか……あの人は何かと先輩にちょっかい出すっすから」
 「あいつはモモの反応を見て楽しんでいるからな。悪気はないんだが」
 「一番困るパターンっす」
 「今度は仕返しに、私が福路に絡んでみようか。久は慣れていないだろうから、面白い反応が見られるかも知れない」
 「そっそれは絶対駄目っす!」
 「ははっ、冗談だよ」

加治木は携帯を放置して、それとなく上着に触れた。
自分も桃子も高揚が退いた今、渡すにはこのあたりが頃合だと思われた。
だが、上着に触れながらも、なかなか懐中の指輪までには手を伸ばせない。

 「返信いいっすか?」
 「あ、ああ。後にするよ」
 「?」

加治木の溜息がうつろう。
つくづく、自分は周りが言う程、器用ではないのだと実感する。
心でさえ準備は万端だと唱えているが、たった一言がこんなにも難しい。
昔に、桃子を東京へ誘った時もそうだった。
もし特別進学したい道が無いのであれば、こちらの大学へ来ないか。麻雀も盛んであるし、モモも知っているとは思うが、私の家には空いている部屋が一つあるんだ。だから ──
表向きサラリと言ったこの台詞も、どれだけの果敢を要したか分からない。
桃子に向ける言葉は、簡単でないものが多過ぎるのだと加治木は思う。

 「でも、先輩また卒業しちゃうっすね…。当たり前ですけど」

加治木に寄り添うようにした桃子がトツと言った。
埋められない時間差に浸潤した苦心の音だった。

 「寂しくなるっす。プロになったら、人気もますます出ちゃうんですから」

桃子が ”ますます” のような副詞を用いたのは、単に自分が加治木を好いているからという理由ではない。
静穏たる人格に熱誠を漂わせ、闘牌においては天稟のセンス・感性を昇華させてきた加治木ゆみは、彼女本人が捉えるよりも数百倍の話題性を集めている。
そこに男女の境は無かった。加治木という人間に、麻雀に、躊躇もなく焦がれてしまう者は幾多もいるのだ。
自慢の恋人ならではの悋気を、桃子は抱えざるを得なかった。

 「人気が出てくれるのならプロとして御の字だが、若輩の私程度では考え辛いぞ」
 「先輩は甘いっす!大甘ですっ!! 学校では露払い出来たもののっ、これからは」
 「露払い? モモ、そんなことをしてい」
 「と、とにかく。これから更に不特定多数の人が先輩に群がると考えると、何とも言えない気持ちになるっす」
 「……ふ」
 「笑い事じゃないっすよ……」
 「いやすまない。 だが、モモばかりがそう思っている訳ではないんだぞ? ……いや、それどころか、きっと私の方が執着強い」
 「へ?」
 「モモのステルス能力は、ほとんど麻雀のみに使えるようになっただろう? 年々友人も増えてきた。鶴賀と違って大学は共学だからな……その中には、まあ…、あー……モモに好意を寄せる者もいる」
 「そんな話聞いたことないっす」
 「いるんだ。私はモモと一緒にいることが多かったから、紹介しろと言われることも少なくなかった」

語気を強めてしまった加治木はスイと顔を逸らした。
桃子は目を点にしながら、加治木を覗き込む。

 「そそ、そんな話聞いたことないっす! 先輩からも!!」
 「私が言っていないのだから当然だ。友人が増えるのは良いことだが、これは面白くとも何ともないからな」

桃子のステルス能力に変化が見え始めたのは、まだ加治木が鶴賀学園に在学している頃だった。
受験勉強の暇をみて、元・部長である蒲原智美と部へ顔を出していた加治木は、ある日、部室奥で掃除をしている桃子を見付けた。
黙々と作業に励んでいる桃子は、まだこちらには気付いていない。
加治木は、手伝おうかと声を掛けた。
すると、桃子は口元をポカンとさせながら、それはもう驚いた様子で加治木を見た。
二人に妙な間が空く。
そして、桃子が唐突に言った。
「! 先輩、よく私が見えたっすね」
これには加治木も虚を突かれた。
作業に集中していた桃子は無音で無言 ─── 完全なステルスモードだったのだ。
聞けば、新学期からその兆しはあったようで、部内で最も桃子と ”出会えない” 妹尾佳織にも見付けられることがあったそうだ。
クラスメイトとの会話も生まれ始めているとも。

しかし、ステルス能力が発揮出来なくなったのかといえば、そうではなかった。
ひとたび卓を囲めば、今の加治木の実力を以ってしても東横桃子を見失う。
現在では 「警戒不可能」 とまで言われているのだから、彼女の能力は年を追うごとに強力になっていると考え、日常生活のみで薄れつつあると解釈する方が正しい。
加治木と桃子はあれこれと原因を考察したが、究明までには至らなかった。
が、切っ掛けを並べるのならば、桃子には鶴賀学園麻雀部しか思い当たらない。
試合に出場し、TV中継を通してその存在を視認されてきた事が何か関係しているのかも知れない。

加治木は純粋に桃子の変化を喜んだ。
東横桃子は今までその体質故にコミュニケーションを放棄していただけで、彼女自身の性格は感情豊かで快活だ。
これまでの影を恨むようなこともなく、人を嫌うようなこともしていない。
友人が出来るのも時間の問題だろう。

 「初めは素直に喜べていたんだ。ステルス能力の件も、モモが麻雀部以外でも楽しく過ごせるのならば、それに越したことはないと」

過去形を強調した加治木が告げる。

 「だが勝手なものだ。いざモモが大学に来てその光景を目の当たりすれば、良い事だと思う反面で心が騒ぐのだから」
 「先輩!!」
 「ぅわ!?」

突然、体当たりのような衝撃が加治木を襲う。
覆い被さる勢いの桃子を咄嗟に受けて、ソファが僅かに軋んだ。

 「先輩がそんな風に思ってくれてたなんて感激っす!」
 「……どうやら私は、モモが相手だと我侭になるらしい。モモを初めて探し出した際も、周りの迷惑など考えはしなかったからな」
 「1年A組乱入事件っすか」
 「覚えているか」
 「当たり前っす。台詞から動作まで全部ばっちりです」

加治木は密着する桃子を支えながら、懐中付近に視線を送った。
指輪。これも我侭な一面が出たのだろうと思う。
冷静に考えれば、自分が卒業しても、年下の桃子にはまだ学生生活が残っているのだ。
良識で彼女を想うのなら、待って然りの時期に他ならない。
加治木は悩んだ。プロ試験を受ける前から、たっぷりと数ヶ月は煩悶を重ねた。
だが、加治木が幾度となく良識を投げても、想いは必ず振り出しに戻ってくる。
東横桃子を心頭に置けば、高校三年生の頃、1年A組で思わず叫んだ時のように、しかし、あの瞬間よりも切に明確に─── 彼女を 「欲しい」 と思うのだった。
加治木は良識を諦めた。
こういう時の自分は、止められないと分かっていた。

指輪はそうして今ここにある。

 「先輩がお望みとあれば、超正確に再現するっすよ」

頬に赤を付けた桃子が嬉しそうに戯れた。
顔が近付き、加治木は睫毛の数も分かりそうな距離で桃子を見る。
私は、君が ─── あの事件と振り出しに戻り続けた想いとが、加治木の懐で弾けた。

 「遠慮しておくよ」
 「やっぱりっすか」
 「再現は、私がしようと思っていたところだ」
 「え!?」

面食らった桃子に加治木が笑い掛ける。
桃子の反応は尤もだった。この話題が出たものなら、加治木はその恥ずかしさから頭を抱えてしまうのが常だ。再現という単語で答えたことはない。

 「ただし、意味は変わってくるがな」

加治木は桃子の身体を離して指輪を取る。
先までのような二の足は踏まなかった。
握るようにした手腹を上に向けて、桃子に差し出す。

 「先輩……? あ、」

手を開いた加治木に、桃子が瞠目して黙り込む。
塞がれていた微光の明滅が会話を途切れさせ、加治木はその隙を狙って、桃子の左手薬指に指輪を嵌めた。

 「モモの卒業を待てなかったことは悪いと思っている」

胸に張り詰めた声で加治木が続ける。

 「私なりに悩んだつもりだ。 だが……何日経っても駄目だった、考え直せなかったよ。 挙句の果てには、今のような…行動に、出ている」

加治木は桃子の前髪を拡げた。
直結する視線の交錯も、すっかり大人しくなってしまった桃子は、されるがままに動かない。
そんな桃子の様子に加治木が微笑む。
平素の勢いとは逆に、桃子は加治木からの踏み込みには滅法弱い。

 「私の辛抱弱さを揶揄してくれて構わない。 モモ、私は─── 」

加治木は触れ合う間近の唇に言葉を孕ませた。

 「私は、モモが欲しい」

長かったのか、短かったのか。
加治木を受け終えた桃子が、あの事件に勝る極彩色を見て視界を潤ませた。

 「せん、ぱい」

そして、桃子は叫ぶ。
”再現” と言った加治木になぞるようにして、一言。

 「こんな私でよければ!!」




加治木ゆみと東横桃子、二人はたった今から名実共に家族としての新たなスタートを切る。



















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