甘い予防線



ある日の冬。
竹井久が気が付いた。
ある日の何でもないような深刻な出来事だった。





 「……美穂子ってもしかして」

竹井の推察は、台詞途中の段階で福路美穂子をギクと膠着させた。
隣を歩いていた彼女のそんな素直な反応に、竹井も足を止めて向かい合う。
瞬く間に憂苦を浮かび上がらせている福路が、先の自分の行動を悔いているのだろうという事は竹井の判断に足りていた。
だがしかし、それで次句を流してしまう程、竹井は福路に浅くはない。

 「手、繋ぐの嫌い?」

絡ませようとして持て余した利き腕を竹井が揺らす。
竹井のこの手この指は、今、福路の明確な意志によって避けられてしまったのだ。
無理強いなど好む所ではない竹井からすれば、触れ合いが苦手ならば正直にそう伝えて欲しいものであるが、しかしそれはそれで幾許かの打撃は禁じ得そうにない。
彼女の恋人である身としては、やはりそれなりの理由を求めたいものである。

 「…! 嫌い、な訳がありません。けど、しばらくは駄目と言うか…」
 「嫌いじゃないのに駄目ってどういうこと?」
 「冬はちょっと…」
 「冬? ええっと。 ゴメン、話が見えないんだけど」

分からない。冬の何が彼女の邪魔をするのだろうか。
一手先も読めない福路の言葉は竹井に難儀を煩わせた。
麻雀ならば大層好めたであろうシチュエーションも、この場面では、さすがに悪待ちを振るう気にはなれない。

 「荒れているんです」
 「何が…?」
 「今は特に手荒れが酷くて」
 「うん」
 「それでさっきはつい反射的に……」
 「そっか……」
 「……」
 「……」
 「…………」
 「えっ ─── 終わり!? まさかそれだけ!?」

竹井の大音声は頓狂に響いた。
開いた口が塞がらない。まるきり予期せぬ方向からの回答だった。

 「ちょっと待って美穂子。隠してるとかじゃなくて、間違いなくそれだけなのね?」
 「? あまり良いものではありませんので、嫌われてしまうかもと」
 「嫌うって……」

竹井の記憶が彼女の日々の生活を連想させる。
福路は明言こそしていないが、思い当たる節はいくつもあった。
部活内の洗濯やら雑用やらを漏れなく受け持っていること、家での家事も多くこなしていること。
時間が許した時はこちらに手料理も振舞ってくれていた。
寒さも雪も余るくらいだった今年の冬は、なるほど確かに彼女の肌に格別な厳しさを与えたのだろう。

 「久、怒ってます…?」
 「怒ってる」
 「避けてしまったことは、本当にごめんなさい……」
 「そっちじゃない。私がたかがそれくらいの理由で美穂子を嫌うだとか思われてるのが心外ってこと」

竹井は痛みを与えないようにしながらも丸い強さで福路の手を包む。
焦りを見せる福路の裏で、こっそりと拒否理由の呆気なさに安堵していた。

 「あのね、美穂子。よーく聞きなさい。 それくらいで嫌いになるのなら、最初から私は貴女を好きになんかなってないし、」
 「!?」
 「こんな関係にもなってないでしょ」

数瞬、福路の頬に竹井の唇が乗った。

 「だからそんな可愛い我侭は認めてあげないわ」
 「久、ここ普通の道…で、す」
 「そうね。でも私を怒らせた美穂子が悪いんだからしょうがないんじゃない?」

怒りとは無縁の声質で揚言した竹井は福路の手を胸の高さまで持ち運ぶ。
彼女の手甲を何度かさすって、相貌を甘さで染めた。

 「私は頑張ってる美穂子の手、好きよ。私なんかよりよっぽど綺麗じゃない。」
 「…そ、そういう言い方はズルいです。気にしてた私が馬鹿みたいで」
 「あ、それ正解。反省しなさい」

言い切った竹井が本物のキスを仕掛ける。

 「返事は? 美穂子」
 「う…、はい」
 「宜しい」

二人に距離は無くなり、そして、福路から動いた遅い指を竹井がしっかりと絡め込んだ。

 「全く、驚かせないでよね…」

嫌うだなんて笑わせる。
竹井に感じ有るものは、福路の愛おしい温もりだけだった。


小ネタ No,03

      














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