諸刃エースのいろは唄




【 1 】

園城寺怜には、家の天井とは他に、別途見慣れている天井があった。
少し湿った空気と厳かな気配の中、今こうして眺めている天井がそれにあたる。
天井の色は白だった。木目も存在しない、いつだって何ら変わり映えのない潔白。
生来より付き纏った病弱性がこの日常外の清潔を覚えさせ、故に、今目覚めたばかりの怜でも、ここが病院の一室である事実をすんなりと認めることが出来たのである。
(外…夜やん……。また倒れてしもうたんか……。確か…月曜…部室で……って?)
事情を呑み込んだ怜であるが、しかし、謎めいているのはカレンダーが示す日付である。
枕元の向かって右側。ボヤけ眼に映り込んだ質素な日めくりカレンダーが怜に謎を呼ぶ。
季節は残夏だ。三年生が引退し、二年の怜にとっては秋季大会までの合間時にあたるが ─── 白壁に飾られていた数字は、怜の最後の記憶より十日以上をも経過していたのだ。
当然、曜日も異なっている。誰かがうっかりと捲り過ぎたにしては随分と厚い時間のように思う。
(部室で……一軍の牌譜並べてた筈やけ……ど)
怜の視線はカレンダーを横切り、左側のサイドテーブルに向かった。
円柱型の花瓶には真新しい花が咲いている。それは偶然なのか、怜が好いている花だった。
(これ……?)
次に怜は無意識に見えた自分の腕を、違和感と共に注視する。
何だか細くなってしまったように感じる腕には、数本の管と灰色のコード線が通っている。
管を辿れば点滴が、コードを辿れば臨床モニタが、それぞれ忙しなく働いていた。
(……なんでや)
怜は物々しい自分の姿に顔を顰めた。
肌にいくつも貼られた電極シールといい、これではまるで重病人ではないか。体力不足で倒れただけの自分にはそぐわない医療量だ。
怜は現状把握に努めようと体に力を込めた。起き上がる為に手をつかえさせる。
(……!!)
が、怜はここで己の体の重さを知った。
上身を起こそうにも鉛のように固まってしまった関節が軋むだけで決して曲がらない。
筋肉も弛緩に侵されている。力は全て流される。
首のみが唯一まともな動作を許すが、咳一つにも酸が込み上げた。
膨張するような吐き気に、聴覚も低下しているのか、鈍い耳鳴りが永延と尾を引く。
(よう分からんな……。疲れでも溜まってたんやろか…………)
天井が僅かに回っている。眩暈もあることから、三半規管に異常をきたしているのかも知れない。
(…………にしても大袈裟やけど)
いつまでも続くその不快感は怜に眠気を運び、自然と瞼を閉じさせた。
寝返りを打とうとするが満足に動けない。
少しでもノイズが静まればいいと、怜は首を横に向ける。

 「怜!?」

しかし、そんな不快は鋭声によって淘汰された。
自分の名に再び浮上する意識。
不思議と、虚ろな目でもよく見えた。
思わず怜もその名を口にする。

 「りゅ……か」

鋭声の主は清水谷竜華だった。先月に新チームの部長へ抜擢されたばかりの同級生・怜の大切な人。
制服姿であることから恐らくは部活帰りなのだろう。
窓から差し込む月光を浴びて黒の長髪が煌いている。
端正な顔に溢れる涙もその微光に反射していた。

 「怜ッ」

竜華は腕に抱えていたペットボトルを落としながらベッドに駆け寄った。
二人分のペットボトルが派手に転がるも、拾い上げる余裕は竜華にないようだった。

 「……で…そ…泣い……て……の」

『なんでそんなに泣いてんの?』 怜はそう言ったつもりであったが、声が上手く出なかった。
『いつもみたいにちょっと倒れただけやん』 これも掠れてしまって言えない。
『竜華も病院も大袈裟やで』 又しても失敗。
まるで声の出し方を忘れてしまったかのような喉の憂鬱が邪魔をする。
怜は仕方ないとばかりに腕を伸ばした。

 「?」

けれども、それも及ばず、腕は曖昧に上下しただけである。
竜華がすくい上げてくれなければ動いたのかも判じられなかった誤差の挙動。

 「待ってて!すぐにお医者さん呼んでくるから!!」

よく分からないことだらけだが、怜は一瞬重ねられた竜華の手に安堵を覚える。
気でも抜けたのだろうか、払われた筈のノイズがまた折返しつつあった。
(医者よりも竜華の方がエエのにな……)
怜は一人、弱々と指を丸めた。
息を吸って吐く。
ボウと白天井を見詰める。
深まるノイズ。
戻る吐き気。
滲み出す浮遊感と睡魔に室内が歪み始めた。
意識が混濁する。
現実と夢幻とが境目を失くす。
目に変調をきたしているのか色彩の認識が淡く薄い。

 「……ッ痛」

─── と、頭痛に怜が寸時目を閉じた時だった。
脳の使っていない部分に血が流れるような感覚が走る。
桁違いの気持ち悪さに怜の口内は胃酸で溢れた。

 「……!」

直後、強制的に開かれた瞳孔へ暗い閃光が炸裂する。
えずきを繰り返した怜が視力を取り戻した時には、映るもの全てが緑に変色、ひび割れた世界になっていた。
(……なんやこれ)
頭痛が酷くなる。
圧縮された緑と不安定な亀裂が累加する。
何度まばたきをしても戻らない。
怜は病室を見回し、そしてその途端、重い倦怠感に襲われたが、怜の緑視野はバタつく若医者と看護士、後ろで息を切らす竜華を捉えた。
『怜!!』
(竜華……医者呼ぶの早……)
怜が目を見張る。時間の流れはスローモーションを感じさせるのに、そこに立つ人物達は二倍速のような速さで近付いて来る。横のままの状態で器用に口内を濯がせてくれた後、医者はそのまま脈をとり熱をはかるが、怜にはこれらの動き全てが早送り映像のように見えていた。看護士がカルテを記す様子も必要以上に慌ただしい。途中でボールペンを落下させてしまったようだが瞬く間に拾い上げていた。
(……どういうことや)
奇妙でしかなかった。
続く緑の視界では、竜華の動きさえも倍加している。
医者の頷きにようやく見せた笑顔も一秒と経たず再び泣き顔へ。
医者と看護士が早足で退室したかと思えば、次の瞬間には竜華が───

 「怜!!」
 「ッ!?」

と、刹那。
緑の世界が完全に砕け散り、怜はバタつく若医者と看護士、後ろで息を切らす竜華を視野に捉えた。
(……は?)
怜はクリアになった目で慎重にベッドへと近付いてくる医者を見る。
横のままの状態で器用に口内を濯がせてくれた後、医者は怜の脈をとり熱をはかった。
医者が何かを問い掛けていたがその質問に怜は答えない。全身の不調もあり、どのみち答えられはしないのだが、答える素振りさえ出せなかったのは、カルテを記す看護士がボールペンを落下させたことに原因がある。
あまりにも見たことがある光景だった。
既視感やデジャビュという度合いではなく、怜はついさっきこの一連の時を ”過ごし終えた” ばかりだ。
二倍速の世界で過ごし終えた筈だったのだ。
怜は知っている。この後に誰が何をするのかを。
竜華が医者の頷きに笑顔を見せて、直後にまた泣いてしまうのだ。

 「良かった……ありがとう御座います!!」

この場面も怜には既に体験済みのことである。
涙の竜華は頭を下げて医者と看護士の退室を見送った。

 「竜…華」

緑でなぞった時間が刻一刻と再生されていた。
怜は思う。
この後、自分は竜華にそっと抱き締められるのだろう。
竜華は震えながら泣いて泣いて、それでいて、とても話をしたそうな顔をしているのに、
『峠は越えたみたやけど……まだ体辛いやろ。…………もう少し眠り』
そんなことを優しく言うのだろう。

 「峠は越えたみたやけど……まだ体辛いやろ。…………もう少し眠り」

─── ほら。
怜は知ってる。こうして自分が瞼を下ろした後にも竜華が傍を離れないことを。
何かを言いたいのに、やはり声が出ない自分のことも。

 「………」
 「エエから。眠って……怜」

泥のような疲労感に没しながら怜の意識が断絶的となる。
(…頭……イタ…)
飛び石のような思考の裏で、怜は突如出現した速度世界のことを考えた。
緑の二倍速。あれは半覚醒が引き起こした幻だったのだろうか。
しかし幻覚や錯覚にしては現実との合点が過ぎている。
(……ありえへん、)
恐怖のようなものが押し寄せるが、傍にある竜華の体温が救いだった。
(…………まるで)
まるで未来を覗いたようだ、と眠りに落ちる怜の、それが終わりの思考だった。





【 2 】

怜が次に意識を取り戻したのは夕日が輝く午後のことだった。
反射的に見たカレンダーの日付は昨日の明日の明日の明日の明日。
つまり、怜の ”昨日” より丸四日が経過したことを告げている。
体は悲鳴を残したままであるが、最低限の軽さは取り戻しているようで、幸い喉の憂鬱も減っている。
点滴は続行されているものの臨床モニタは外されていた。

 「お、目が覚めたんか怜。気分はどうや? ああ別に起きんでエエで。ゆっくりしとき」

深呼吸の怜を暖影がのぞいた。
ハスキーな調子に黒の学ラン姿。
こんな男風の服装が似合う女子は限られている。
少なくとも怜には一人しか覚えがなかった。

 「セーラ?」

二年にしてチームの要、全国でも指折りのエースに数えられる江口セーラだ。

 「おう。ちなみに竜華は部会で遅れとるで。時間的にはもうそろそろ来る頃やろうから安心し」

怜は咳払いをして喉の様子を確かめた。
何とかいけそうである。
多少くぐもってはいるが会話に支障はない。
気持ちの悪さも消えている。

 「……っと…そもそも…私?」
 「状況分かるか? 一回起きた時のことは覚えとる?」
 「少し。…………けどゴメンよう分からへん」
 「……せやろな」
 「自分がまた竜華を泣かせてしもうた事と、セーラが見舞いに来てくれてる事以外はさっぱりや」

サイドテーブルの横に腰掛けたセーラが苦笑し、怜は振り返るように空映す。数日前の竜華を。
朦朧に混在するのは涙と笑顔。涙と涙。
他にも何か不思議な出来事があったような気がしたが、今は思い出せなかった。
竜華の方が何万倍もの鮮明さを形取っている。

 「……あ」

怜はふと気付く。
止まらない雫の、その一枚下の竜華に。

 「竜華…なんであんなにやつれてたんやろ」
 「─── 怜が倒れてからの竜華は見とるこっちが辛うなるくらいやった。俺も当然心配してたけどな……正直比じゃなかったわ」
 「でもよう見たらセーラも目の下に隈できとるやん」
 「そら……まあ、な」

眉を下げたセーラが学ランの裾で目尻を拭う。
擦られた箇所だけ学ランの黒が濃くなっていた。
それでも陰気を感じさせないのがセーラの温情溢れる人となりであるのだが、怜は竜華とセーラの二人をここまで消耗させたことに表情を曇らせる。

 「私、普通に倒れただけやないんか」

そして、怜は不明点に囲まれながらもようやく理解した。
自分は二人に悪いことをした。
途轍もなく悪いことを。

 「怜はな、今回ただ倒れた訳やない。四日前までの約十日間、ずっと生死の境をさまよってたんや。医者の話やとあと数日目覚めんかったら危なかったって」
 「生死の境?」
 「怜は部室で倒れてたんや。俺と竜華が監督に呼ばれてる間にな……。そりゃもう大騒ぎやったで。怜最近は体調良いからて部活も毎日出られてたやろ。その矢先やったから」

進んでいたカレンダーの謎が解けて、コトの重大さも怜の中で溶けた。
死に体になりかけていたのかと思うとぞっとする。
だが、不名誉ながらも入退院の場数を踏んでいる怜にとって、死というものはいずれあるかも知れない行方の一つで、覚悟はなくとも考えはしていたから、セーラが言う ”死” という単語を受けても、怜が特別取り乱すことはなかった。自分を軽んじるつもりもないが、二人にまた過労を掛けたという事の方が今の怜には問題だったのだ。
ふつふつと小さな気泡が弾けるように当日のことが蘇り始める。

 「そ…か。竜華とセーラに居残りで特訓して貰ってた日にそんなことになってしもたんか……」

怜はたまにこんな自分のことを 『病弱』 とふざけたが、それに本気で笑えたことなど一度もなかった。
言っておかなければ何かが折れてしまいそうな気になるのだけれど、しかし、竜華とセーラは「そのアピールやめ」や「特訓や!」などと言って、怜のどうしようもない蓋をいとも容易く開いてしまうのだ。
身を削るくらいの心配はしてくれるくせに、同情は欠片もしない二人。
レギュラーと三軍に分かれても、何も変わらなかった二人。
友達で、親友で、それ以上だった。
そんな二人に仲間としても近付けたらと。

 「いくら強い二人に特訓してもろても結果がこれじゃ世話ないわ。しばらく入院やろし。迷惑も心配も掛けてゴメンな、セーラ」
 「そこは俺も竜華も気にしてへん。怜が早う元気になってくれたらそれでエエ」
 「体調はホンマ良かったんやけどなあ」
 「無理はアカンで」
 「してへんよ」
 「監督から聞いた。怜、俺らに内緒でメニュー増やしてたやろ。居残りもそうやし休みの日も出てたり。親御さんの話からすると睡眠時間も削ってたみたいやん」
 「………体調エエ時くらい努力しなって思っただけや」
 「でも今回のは急過ぎやで。徐々に増やしていくんなら分かる。怜も元々そうするつもりで、俺らとメニュー組んでた筈や。負荷が少ないように」

少し黙ったセーラを怜が見る。
目は合わなかった。
咎めているのではなく、本当に心配してくれているからこそ合わなかった。
怜は反省を含めてその無言を呑む。

 「怜」

セーラの真直な語気。
セーラは病室扉の方を見遣り、再び怜の元に視線を戻した。

 「竜華が ”私のせいや”って泣いてたで」

途端、怜の瞳がゆっくりと丸くなる。
─── 『なあ、怜。あんたウチと一緒に全国いかへんか?』
ザワついた細胞に心当たりの想起。

 「その様子やと心当たりはあるみたいやな」

セーラがバツの悪そうに頬を掻く。

 「自分が余計なこと言うたから怜に無理させたんやて」
 「……竜華が」
 「俺は詳しいことは知らん。訊こうとしたんやけど、竜華があまりに辛そうでな。とてもやないけど訊かれんかったんや。まあ……大体の予想はついとるけど」
 「心当たりはあるで。やけど、竜華のせいなんかやない」
 「……うん。やろうな。怜ならそう言うやろと思うてた。─── だからな、怜。それ竜華に説明したって。竜華、一応部活では気ぃ張っとるけど、ずっとそのこと引っ掛かってるみたいやねん。俺の感覚だけの話やなくて周りにもバレとる。データにも出始めてるから誤魔化されへんのや」
 「データ?何の?」
 「見てみこれ。ここ最近の対局データや。フナQが独自に取ってるやつ」

サイドテーブル上に伏せられていたクリアファイルをセーラが怜に渡した。
透明なファイル越しには <一軍総当り戦> のタイトルと <船久保浩子> というデータ作成者の名前が記載されている。
船久保浩子、とは怜や竜華、セーラの後輩にあたる一年生で、誰が呼び始めたのか、あだ名を ”フナQ” という。また同時に、監督・愛宕雅枝の姪でもあるが、そんな色眼鏡はどこ吹く風、データを武器と磨き続ける研鑽力は、三年生が引退した現在、レギュラーに最も近い水準だ。
怜もよく負けている。
素面の雀力差に加え、半ば幽霊部員である怜のデータに対しても彼女は妥協を許さなかった。

 「フナQか。なら間違いはないな」
 「ああ」

理路整然と並ぶ対戦データを怜が斜め読む。

 「セーラと…竜華はさすがやな。勝率六割強やん」
 「ボロは出とるで。下の方見てみ、折れ線グラフ。 俺は先月とほぼ同じやけど───」
 「竜華は……明らかに打点が下がってるな。平均-2,000。和了率も。代わりに放銃率はあがっとる」
 「な。おかしいやろ」
 「……せやな。おまけにセーラが入ってる卓では全然アガれてへんみたいやん。ラスも引いとる」
 「張り合いないで、今の竜華は。勝率こそ維持しとるけど気持ちがまるで乗ってない。雀士としては最低状態や。最高状態に戻ってもらわんと困る」
 「”最高状態” ?」
 「そや。俺が勝手にそう言ってる。俺は過去何回かこういう竜華を見たことがあるんや。波があるタイプでもないのに筋をおかしくする竜華をな。今と全く同じや。半端な集中力で打っとる」
 「そうなんか。知らんかったわ……。打ってるところは結構見てきたつもりやってんけどな」
 「や、怜が知らんのも無理ないで。だってな、竜華が最低状態になるのは決まって怜が倒れた時なんや」
 「……え?」
 「ちなみに最高状態は怜が元気で部活おる時な。打点は上がるし和了率もあがる。何ならこれもフナQが過去のデータ洗い出してくれるとからサーバーに上げとくわ。退院したら確認してみ」
 「んなアホな」
 「でも全くの見当外れやとは怜自身も思わんやろ」
 「………………そら、少しは」
 「なんや照れとるな怜」

セーラは怜の手にあったデータ表をファイルに戻した。

 「最高状態の竜華はホンマ強いで。バカヅキの俺でも押さえてきよる。楽しくてしゃあない」
 「バカヅキのセーラを押さえるんか。私からしたら異世界の麻雀や」
 「こらこら」

薄いファイルでセーラが怜にツッコむ仕草をする。

 「そんな竜華の強さは怜が作ってる面もあるっちゅうこっちゃ。他人事やないで」

怜はその言葉に驚き、強く打たれて俯いた。
セーラの気持ちに対し、礼なんてものを並べるのは野暮だった。セーラも望んでいない。
だから怜はその面持ちを和らげるだけに留める。

 「あとな、今回のは竜華が ”自分のせい” って思うとるから根が深い。怜が退院しても続くかも知れん」
 「そんなん困るわ」
 「俺もや。二人が元気ないのは悲しい上に辛いで。やから竜華には怜が直接言ったって欲しい」
 「せやな。体も結構平気になったし竜華来たら話するわ。竜華のせいなんかやないって」
 「よっしゃ、ほな───」
 「?」

台詞を延長しながら立ち上がったセーラは、怜に背を向けると病室扉に向かった。

 「竜華いつまでそこに立ってるつもりや。入ってきーや。怜起きてんで」
 「!! …………セーラには敵わんな」

肩越しにニッと笑ったセーラは 「ほな俺は帰るわ。あとは頼むで」 と手を振って病室を後にする。
竜華とは特別何も話さなかったようだが、セーラは竜華を励ますようにポンと優しく頭に触れた。
扉の影から竜華が戸惑うように顔を出す。

 「怜……」

セーラの背中が完全に見えなくなって、竜華がそろりそろりと怜の病室に足を踏み入れる。
話の流れを汲むのなら、怜は竜華に言わなければならないことがある筈だが、涙目でいる竜華の姿を見てしまえば、
一時的にその優先順位は下がることとなった。
その話も勿論とても大切なのだが───
真っ先にしなければいけないことが、他にあるような気がしたのだ。

 「よっこいせっと」

怜は鈍った体を折り上げ、ベッドから上体を起こした。
そして少し広げた腕で竜華に微笑む。

 「もう大丈夫やで、竜華」

グと竜華が唇を噛む。

 「怜…!」
 「ゴメンな」

労わる加減であるものの、竜華は深く怜の腕に飛び込んだ。
怜は触れ合った竜華の体幹がやはり華奢になっていることに気付き、続けて口を開く。

 「ホンマにゴメン」
 「怜のアホっ。危なかったって医者が、でも、大丈夫って信じてて、それで…!」
 「最初に目が覚めた時も竜華おってくれてたな。毎日来てくれてたんは言われんでも分かるわ」
 「………ッ、怜のアホ」
 「二回目や、それ」
 「何回でも言うたる。怜のアホ……っ!!」
 「三回はアカンでー」

無事の証明ともなるに軽口に竜華はしばらく怜の腕で泣いた。
怜は何度も阿呆と言われたが、その度に竜華の黒髪を撫ぜ、そうして感情の律が落ち着いてくれば、怜はようやく竜華の笑顔をのぞくことが出来た。差し入れの林檎を剥くと言って離れた時の、心底安心したような表情は朗らかと見ても良いだろう。
だが、怜は竜華が自分に対し、どことなく寂しい眼差しを向けていたことも承知した。
含まれていた感情は、きっと罪悪感だ。明るい彼女がそんな似合わないものを抱えては、例えこの場にいるのが怜でなくとも一目瞭然。
源泉は間違いなくここにある ─── 『竜華が ”私のせいや”って泣いてたで』
「なんでやねん」 怜は小さく呟いてから、次の台詞を竜華に向ける。

 「せやけど竜華もアホや。セーラから訊いたで? なんや ”私のせい”って」
 「う…………。もう…セーラ。言わんとってって言ったのに……」
 「セーラは竜華のこともメッチャ心配しとるからな、しぁない。共倒れは私も勘弁や」

竜華が剥き終えた林檎を皿に乗せ、サイドテーブルに置いた。
爪楊枝が刺さった兎型のそれを一切れ怜に渡すと、複雑な横顔でベッドに腰掛ける。
怜が林檎を食べ終わる頃合に竜華が言う。

 「怜が練習メニューいきなり増やしたのって、私が原因やろ。私が部長になったばっかりの頃 ”一緒に全国いかへんか” なんか言うたからや。私の夢は関西だけやなくて全国最強やから、その時、怜も一緒にて……」

怜は頷いた。
倒れた影響で霞みがちだった記憶はもうとっくに戻ってきている。
そこに否定はない。その言葉があったから、自分は特訓に特訓を重ねた。違いない。
竜華のシーツを握る指に力が入る。

 「私が軽々しくそんなこと言うてもうたから、怜頑張って応えようとしてくれて……」
 「……やっぱ竜華の方がアホやな」
 「なっ」
 「大体、なんで全国最強に誘うイの一番の相手が三軍の私やねん。おかしいやろ」
 「お、おかしない! だって私、本気で……!」
 「それや」

トッ、と怜が竜華の頭を人差し指で突いた。

 「名門校の部長にまでなっても竜華はそういうとこ全然変わらん。セーラも」
 「それがプレッシャーになってもうて……」
 「ちゃう。二人が変わらずにいてくれたから、こっちが変わりたいって思ったんや」

怜の口元が弧を作る。

 「嬉しかった」

嬉しかったんや、とその言葉は二度響いた。
振り向いてくれるのに決して届かないその背中。
全国の舞台で闘う竜華とセーラにずっと憧れていた。
ずっと、ずっとだ。
そして、なればこそ、怜はその憧憬がどれだけ身の丈に合っていないことなのかを悟ったのだ。
あの舞台に立つには資格がいる。三軍の幽霊部員には縁遠い、最低でも強いという資格が。
雲を掴むような話だと本人が認めていたのに、『一緒に全国』 と竜華は唱えた。

 「いや、嬉しさ通り越して痛切やったな。私を諦めてたんは私だけやった」

竜華が淡く目を細める。
怜は続ける。

 「”病は気から” あれホンマなんかも知れんな。上を向いたお陰か体調マシになって、部活の出席率も上がった。まず間違いなくこの二年の中で一番エエ」
 「せやけど、」
 「最後の一年や。神さんもチャンスくれたんやな」
 「せやけど…! 折角良くなった体やのに、また壊してしもうたら本末転倒やん……!!」

やっと乾いた筈の竜華の瞳が再び濃い色に沈む。

 「私は本気やった。けど、それは怜の体に負担を掛ける為やないっ」

竜華が辛そうに話すのは、竜華に怜の気持ちが通っているからだ。
応援したい心と止めたい心との葛藤がつぶさに浮き出ている。
痛みさえも感じているのかも知れなかった。

 「もう……無理、せんといて」
 「セーラにもそれ言われたわ」
 「なら」

怜は緩く首を振る。

 「やりたくてやっとることやから私は無理してるつもりないで」
 「怜……」
 「別に竜華やセーラに心配を掛けたい訳やないんやで? …………まァ三軍の人間が言うのもアレやねんけど」

怜はシーツに皺を刻み続ける竜華の指を解く。
心でまた揺れる一節。 『一緒に全国いかへんか?』

 「あの日から ─── 私の憧れは夢に変わった。竜華とセーラと全国の舞台で闘うことが私の夢。最終的には竜華を全国最強校の部長に出来たら言うことないな」

シーツの代わりに怜は自分の手を竜華の指に絡めた。

 「本気なんやろ?竜華。 全国制覇も、私のことも」
 「…!」
 「春にはまた有望な後輩も入ってくるやろ。次の夏までにレギュラー取ろうと思ったら、限界の一つや二つ挑まなアカン。竜華とセーラもそうやって強くなった筈や」

怜は肩を竦めて竜華を見る。
自分に才能がないことは分かっていた。
努力の前には体質が邪魔をした。
他の選手が持ち合わせている蓄積 ─── 夏への対価に、自分が決定的に乏しいことも。

 「時間がない」

簡潔で厳しい現実が唇の隙間から漏れる。

 「一か鉢かで構わへん。夢を見る為に懸けられるもんは全部懸けるで」

そう、足りていないのなら、懸けて、更には賭けてみるしかない。
狙うは一か鉢か、伸るか反るかの大逆転。限界突破。

 「だからな、ホンマ全部自分の為なんや。倒れたのは竜華のせいやないし、無理にもならん」

怜が笑み、息をついた。
竜華は今しばらくの葛藤を続けていたが、やがて困ったような優しい表情を怜に返した。

 「ま、どこまで出来るんかは正直分からへんけどな。足掻いてみるつもりやで」

怜が言う。
手が少しだけ震えて、強い言葉の割には自信がないのだと知った。
猶予は一年を切っている。
体調の改善があったとて、過去の欠席過多・病弱がプラスになることはなく、現状と合わせて逆算するのなら、レギュラー昇格には絶望が手を招いている始末だ。想いや願いだけで強くなれるのなら誰も苦労はしない。
しかし、怜にとってこの夢は、もはや叶う叶わないの次元ではないのだ。
『なあ、怜。あんたウチと一緒に全国いかへんか?』
その言葉だけで ─── どれほど。

 「……そんなん怜に言われたら、止められへんやん」

竜華の瞳が乾いていた。
繋いでいた指が深くなる。

 「口八丁で竜華が私に勝てるわけあらへんやろ」
 「口八丁て。自分で言う?それ」

竜華が少し前のめりになりベッドが軋んだ。
怜は緩くバランスを崩した竜華を見て指を解き、流れのままに抱き寄せた。
抵抗なく受け入れた竜華は怜の胸の鼓動を聞くように頬を預ける。
一時途絶えた会話に、二人の近視線は凜性を帯びた。
怜が竜華の髪をくすぐる。一度、二度、三度。

 「……心配は絶対また掛ける思う」
 「ん」
 「正直、倒れることもあるかも知れへん」
 「うん」
 「それでも付き合ってくれるか、竜華」

頬を離した竜華が怜の胸元の病衣ズレをそっと直した。

 「構へんよ。私も覚悟決めて怜を応援する」
 「苦労スマンな」

コツンと怜は竜華と額を合わせた。
竜華の柔和な笑顔。

 「…………なんやアカン旦那でも持った気分やわ」
 「エエなそれ」
 「え?」

額をズラすと、今度は怜が竜華の胸に雪崩れ込む。

 「甲斐甲斐しい嫁もろうて私は幸せモンや」

楽しそうな怜に竜華が応える。

 「浮気はさせへんでー」
 「こわ」
 「まあ冗談やけど」
 「まあ数年後には現実になってるかも知れへんけどな」
 「そうそう法的にはもういける年齢やし……って何言うてんの!?」
 「竜華のノリツッコミ珍しいな」
 「い、今のは怜が言わせたようなもんやん。ビックリするわ」
 「せやけど一緒になった方が早ないか、色々と」
 「…と、怜、目がマジやで。私達まだ高校生やし」
 「卒業したらエエんか?」
 「だっ大学行ったら、まだ学生のままや」
 「なら大学卒業したらエエんやな」
 「……そ、それは」
 「…………それは?」
 「………わ…私は別にエ、」
 「竜華メッチャ顔赤いで。ホンマいじりがいあるわ」
 「ッ! だってそないなこと言われたら!!」
 「浮気はさせへんで」
 「それさっき私が言ったやつやん!?」

互いにふざけ合った後、怜が僅かに咳込んだ。
支えようとしてくれた竜華に怜が言う。

 「その前に竜華を安心させることが第一やな。今は早う治してレギュラーにでもなって、一発決めたるわ」
 「私も今より強うなれるよう頑張るわ」

一度言葉を切った竜華が、「でも、怜」 と怜の耳元で声を小さくした。
胸にいる怜をしっかりと包み込んで、一つ、竜華は鼻を啜る。

 「…………我慢は…せんといてな」
 「……………………竜華?」

囁くような声質。
あまりに自然に言われたので、怜の反応は数秒遅れた。

 「応援する。もう止めへん。でもしんどい時とか辛い時はちゃんと言って欲しいんや。今回みたいなことがまた起きたら、私……」

怜の溜息。

 「─── ホンマ」

言葉は竜華に負けないくらいの自然さで吐き出された。

 「私は幸せモンや」

怜は竜華の胸から完全に抜けると、

 「ほな竜華、こういうのはどない?」
 「え?怜……?」

竜華のふとももに頭を乗せた。

 「なんで膝枕なん?」
 「竜華のふともも気持ちよさそうやったから。実際気持ちエエし」
 「コラ。そない動くとくすぐったいで」
 「暖かい」

首の位置を調整する怜を竜華が撫でる。

 「疲れた時は素直に竜華にこうしてもらうわ」
 「こんなんでエエの?」
 「嫌でも元気出る。我慢なんてせえへん」
 「………………絶対?」
 「絶対や」
 「絶対に絶対?」
 「絶対に絶対や」
 「隠さへん?」
 「隠さへん」
 「嘘つかへん?」
 「関西人は冗談は言うけど嘘はつかん」
 「…………そか。ならエエ。もう何も言わん」

怜は大きく息を吸った。

 「竜華」
 「ん?」
 「ありがとうな」
 「…………待っとるから」
 「うん」





【 3 】

─── 数日後。
しばらく入院を続けた怜は、通院こそ必要とされるものの、予定通りに退院の日を迎えた。
久しぶりの制服へ身を通し、竜華とセーラの抱擁を受けた今日が怜にとっての部活復帰初日であり、また、数週間ぶりに実牌へと触れる日となる。
(入院中もカード麻雀で出来ることはやってきた。毎日見舞いに来てくれた竜華とセーラも協力してくれた。千里山の一番手と二番手を相手にして弱なってることはない筈や)

復帰戦初戦。
怜を待っていたのは、幸運と不運だった。
幸運は、まず何よりも ”この日に退院が間に合った” こと。
不運は、その復帰第一戦目が、夢への鍵 ─── ”部内昇格試合” となったことだ。
怜は入院中も麻雀から離れることはしなかったが、カードと実戦はイコールではない。
実戦の勘を取り戻す前に臨むには厳しい試合だった。
ここで残した成績によって一軍・二軍・三軍の所属が決まる。
例年通り、この時期ならば次に控える公式戦・秋季予選のスタメン選抜を兼ねているに違いない。
短期昇格試合だけで全てが決定付けられる訳ではないが、欠席が目立つ怜にとって、アピールの場は一試合でも一局でも重要だ。夏のレギュラー入りを見据えるのなら落とすことは許されない試合。
(負けられへん)
同じ三軍の対局者が揃い、いよいよ賽は回された。
四角の戦場が全員分の篤志を纏う。誰もが勝利への一念を携え、上だけを目指していた。
(ツモの感触は悪くない。攻めるで…!)

ツモ、ロン、放銃、ツモられ。
ロン、放銃、動きなし、動きなし。
流局、流局、ツモられ、ロン。

肌の痺れるような接戦が続き、場は後半戦・南四局・オーラスに突入する。
(テンパイ……!!)
怜は二位につけていた。
一位とのスコアは開いておらず、このオーラスで充分にまくれる点差だ。
テンパイ手が入った怜は軽く河を見渡す。
リーチを掛けるか、否か。
間違いなく、ここがターニングポイントだった。
このリーチを乗せ、アガることが出来ればロンでもツモでも一位をまくれる。
是が非でも仕上げたい手だが、だがしかし。
(危険牌)
切るべき牌は無スジ一直線、あからさまな危険牌だ。
”通らばリーチ” ─── その台詞に紐付くのは地獄と相場が決まっている。
(どうする)
回して打つか?曲げて打つのか?
(どうする)
怜は手のひらに爪を食い込ませる。
(勝ちたい)
何ならこの一年だけでも良いと願う。
何度倒れても構わない、巧くなくても構わないから、勝てる強さが欲しかった。
─── 『なあ、怜。あんたウチと一緒に全国いかへんか?』
一緒に闘って、その先を歩めるだけの強さが。
(竜華)
長考に、怜が重ねた時だった。
(痛ッ……!?)
突然の違和感。
目に斜が散った。
脳の使っていない部分に血が流れるような未詳。
刻一刻と視野の九割が緑に塗り変えられる。
(これ…どっかで……!)
嘔吐感を気力で塞ぎ、気が付けば、怜は二倍速の天地を見ていた。
まだ自分の手は動かしていない筈だが、緑界の河には件の危険牌が切られている。
駆け引きの一打。
他家と刺し合う視線。
舌を打つ者、考える者、動かない者。
危険牌はそれらを制して、見事、暴虎馮河と通るのだった。
ドクドクと心臓が走る。
怜の輪郭に汗が噴き出す。
何故かこの感覚を知ってるような気がした。
いつだっただろう、思い出せないが、これは未来の先見 ─── 未来の確定 ───

 「一巡先」

怜の発言に他家が怪訝な表情を浮かべた。
何を言っているのか、怜本人もよく分かっていない。
けれども、そうとしかこの現象を表わす術など思い付かなかった。

視得る、危険牌の行末。
視得る、一発ツモの決定。
視得る、勝利の終局。

 「……!」

強烈な疲労度に襲われたかと思えば、緑界は正色に押し流され、怜の知る現実世界が戻った。
汗を拭う怜が手牌を見据える。
まさか。
まさか。
まさか。
”そんなこと” が可能ならば。
怜の牌を掴む手が震えていた。

 「リーチ」

牌を曲げると同時に、ふと目端に竜華が映った。
二つ隣の卓で対局をしていた竜華が、何かを感じ取ったような驚倒でこちらを見ている。
まるで強者と出会った時のような緊張を走らせた竜華に気圧されたのか、他部員は対局を一時中断して彼女を注視する。
竜華は立ち上がって周囲を見回すが、唯一つの可能性、エースのセーラは現在卓待ちの状態だ。
試合どころか牌さえも握っておらず、そのセーラとて竜華と同じ顔をしていた。
怜自身、まだ信じられてなどいないが、二人の驚倒の先にいるのは園城寺怜で違いないのだ。

 「ツモ」

一発。
高鳴る鼓動と共に、怜の一発逆転宣言は静かに響いたのだった。





【 4 】

 「トキー。起きや。そろそろバス乗らんと大阪に置いて行かれるで。セーラも皆も外で待っとる」
 「え、もう?」
 「随分ボーッとしてたな。何考えてたん?」
 「ちょっとな。あれからもう一年経ったんかって」

竜華の膝から頭を起こした怜は追懐を口にした。
大阪から東京へ向かう当日、朝の部室でのことだった。
抽象的に話された怜の胸中であるが、竜華は連想で首肯を得る。

 「早かったな」
 「もう夏やもんなあ」

怜が感慨深げに言う。

 「秋のレギュラー決まった時、よう後輩にからかわれた」
 「ああ ”園城寺先輩は生死の境で悪魔と契約でもしたんちゃうか” ってやつか」
 「ウケるわ」
 「ウケてたんかい」
 「それだけ劇的な変化やったちゅうことやろ。他人からみたらズルみたいなもんやしな。いきなりエースになった件もそうや。まだ自分でも時々信じられへん」
 「ズルて……。使いこなす為にメッチャ苦労してたやん」

下から竜華を見上げる怜。

 「苦労なら竜華もやけどな」
 「私?」
 「よう泣かせてしもうた」
 「……」

綺麗過ぎるほどの綺麗さで竜華が微笑む。

 「しゃあないやん」
 「なんやそれ」

怜と竜華が同時に苦笑する。
怜が得た不思議な力、”未来視” は異常に体力を要した。
身を削ってようやく発動に至るという、周りが言うほど万能な能力ではないのだ。

 「ホンマはな、ずっと止めたかったんや」
 「知ってたよ」

怜が立ち上がる。

 「…………それでも、応援してくれた」

怜は少し遠くに視線を投げた。

 「結局、素の麻雀じゃ一軍の誰にも勝てへんかったけど」
 「怜」
 「わかっとる。この一巡先を見る力、神さんがくれたもんなんか悪魔がくれたもんなんかは知らんけど ─── もろた後は私次第やった。せやから、ここまで来たことに胸を張れる」

怜は目頭を熱くしている自分に気が付いた。
けれども、ここはまだその場所ではないと改める。

 「私は皆に感謝しとる。シフト組んでくれたり、レギュラーになってからも皆が助けてくれたら全国に立てるんや。セーラにもフナQにも泉にも頭が上がらん」

部室扉に一歩踏み出すと、窓の外からバスのクラクションが聞こえた。
出発五分前の合図だ。
怜の後ろで竜華も立ち上がる。

 「けどな、竜華はやっぱ特別なんや。一番多く一番傍で私を信じてくれてた。だから次は私が返す番や。竜華の夢を叶える」
 「私の夢」
 「関西最強だけじゃ嫌なんやろ?」

振り返った怜が竜華を見据えて言う。

 「無名でも今の私は千里山のエースや」

続く一拍。

 「千里山を日本一に ─── 竜華を全国最強校の部長に出来るだけの資格がある」
 「怜……」

下を向いた竜華が正面から怜の手を強く握った。

 「……どないしよ、怜。全国には強いのようさんおる。白糸台、臨海、永水、姫松……私は去年負けた側やから、身を持って理解しとる。慢心もしてへんつもりや。せやのに……」

竜華は真剣に続けた。

 「先鋒に怜、次鋒に泉、中堅にはセーラ、副将は浩子」
 「大将竜華」
 「少しも負ける気がせえへん」
 「……最高やな」

怜は竜華の手を引いて部室を出た。
窓から差し込む夏の日差しを浴びながら、校舎の外に出る一歩手前で足を止める。

 「さあ、行こか竜華」

隣に並んだ竜華が頷く。
二人は叶う夢と始まる夢を脳裏に描いた。
そして、二人は同時に笑い、同時に言った。

─── 「一緒に全国最強や」



















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