Grandmasterの熱愛報道!!
予定のない休日。
遅い起床を果たした福与恒子は冷蔵庫から水を取り出した。
コップに注ぎながらTVをONにして、無作為に流れ出るニュース番組をボヤボヤと視聴し始める。
───
『あの大物に熱愛発覚でしょうか!?』
───
『この写真だと確実と言っても良いでしょう』
今このチャンネルでは芸能ニュースを扱っているようだ。
他局ではあるが、福与も何度か顔を合わせたことのあるコメンテーター達が興奮気味に賑わっていた。
番組内では特大のめくりフリップが制作されていて、画面右下には ”熱愛発覚か!?”
という文字が強調テロップで押し出されている。司会者の話しぶりからして時間構成にも余裕がありそうだ。これは完全に芸能ニュースのトップ、本日の目玉なのだろう。
福与は水を飲みながら、そのスクープを聞く事とする。
───
『彼女は今まで噂さえありませんでしたからね』
───
『ええ。ファンは多くいたそうですが……』
盛り上がり続けるコメンテーター達。
だが、観始めたタイミングが悪かったのか、肝心の大物の名が出てこない。
彼女、と言われているからには女性を示すのだろうが、さてさて、その実体は、女優か歌手かスポーツ選手か。
福与は欠伸を落としつつ、TV前のテーブルに座った。
片手間に寝癖を整えてゆったりと番組を見守る。
画面上に映るデジタル時計が正午間際を告げようとしていた。
「昼ご飯にすこやんでも誘うかなあ」
時刻に空腹を見た福与はもう一口水を含む。
メールでも送ろうかと携帯を取った。
リズミカルに動く指で <ご飯でもどう?> と簡潔なメール文を打つ。
───
『プロとしての輝かしい経歴が恋愛を遠ざけていたのかも知れません』
───
『そうですね。彼女はただのプロ雀士ではありませんから』
残りは送信ボタンを押すのみ。
「…………プロ雀士?」
押すのみ、なのだが、聞き捨てならない単語の連続が福与の耳を掠める。
─── 『史上最年少のプロ八冠保持者、リオデジャネイロ東風フリースタイル銀メダル』
「は?」
───
『かつては日本一とまで言われていた選手ですからね。小鍛治プロは』
「ぶっ!?!?」
ようやく出た大物の正体に、福与は仰天を噴き出した。
その盛大さたるや、鼻が痛み、むせて咳き込む程である。
仰天の先など覗けやしないが、携帯画面とTV画面の二つを交互に見比べてしまう。
「はぁああああ!!??
すこやんに熱愛!?!?」
すこやん、小鍛治プロ、小鍛治健夜といえば、麻雀界では知る人ぞ知る超級プロ雀士だ。
あどけないルックスとは相対的な才幹で、学生時代はインターハイを制覇、プロに進んでからはタイトルを総嘗めにし、とあるグッズ系スターカード内では”Grandmaster”
という異名も設えられた。
その力が国外に敵うこともメダリストの実績を持って証明している選手で、世界に轟く傑物その人である。今でこそ第一線を退き、主な活躍場を解説プロへと移行しているが、人気は折り紙付きのまま衰退を知らず、彼女に憧れてプロを目指す者も多い。
実況アナウンサーである福与とは公私を通しての相方・親友でもある。
「すこやんに……。えぇえええええ!?!?」
熱愛の大物は、自分の相方、自分の親友。
しかし更に突き詰めて言えば、福与が近々、恋路への発展を仕掛けようとしていた人物でもあった。
第三者から見れば、有名プロに懐いた新人アナ、それもかなりの礼儀知らず ─── のような部類になるのだろうが、”懐く” の定義が正しかったのは最初の数ヶ月だけだ。
福与は彼女の解説が心地良かった。まず抜群に波長が合う。打ち合わせをしなくても通る言葉で、視聴者に制限なき声を届けることが出来る。そこにはアナウンサーとしての至福があった。彼女と組んだ仕事は、総じて、暖かいものに恵まれた。
─── 『あーあ。しばらくはすこやんとの仕事ないのか……』 そして日々が過ぎ、福与が時間経過と共に果たしたのは、黒く埋まった少々過密なスケジュール、ではなく、未知との遭遇であった。
彼女以外のプロとも多くの仕事をこなす真っ最中、それはフワリフワリと嵩を増す。
実況が上手くいこうがいくまいが、何かが物足りない。
大きな仕事に充実感を得ても、でも、他の誰かでは何か足りないのだ。
─── 『私のこれ……もしかしなくても?』 福与の未知が、既知としての遭遇を果たした。
不足に漂った一握りの懐疑は、息の合う相方や親しい友へ感じるホロ苦さ・ホロ甘さではなかった。
もっと深く遣る瀬無い。もっと明るく遣る瀬無い。
心地の良さは彼女の解説にあるのではなく、小鍛治健夜にあるのだった。
─── 『もしかしなくても、そういうことか』 いい大人が抱くには朴直で、少し間抜けな、けれど福与が自身で誇れる恋心だった。
「そうだ、写真っ」
福与はよりTVに接近すると、熱愛報道の証拠とおぼしき写真に目を凝らした。
他局から齎された青天の霹靂に、この間にも 「あのすこやんが!?」 などといった声が漏れる。
あの、と言えば失礼な話なのかも知れないが、福与が見るに、直近の小鍛治には、少なくともそんな素振りはなかったのだ。一週間前は飲みに行き、また三日前は彼女の家に泊まり、昨日は二人でメインパーソナリティを務めているラジオ収録があって半日丸々一緒だった。そのラジオ収録でも、彼女は
「麻雀が恋人です」 と発言して、局にはリスナーからの励ましメールが山を築いたばかりなのに。
「これは……微妙だけど……確かに、親密な、空気、が!?」
写真に写っている人間は、疑いようもなく福与の知る小鍛治であった。
景色は夜。街灯の影。アングルは右横やや斜め後ろから。
車の助手席に乗っている小鍛治は、隣の運転手と唇を合わせんばかりの距離まで顔を近付けている。ただ写真自体が薄暗いことと、強烈なフラッシュの陰影が影響していて、相手がどこの誰なのかは全く判別出来ない。
辛うじて分かりそうなことは、小鍛治が頬を緩め、屈託なく楽しそうにしているということ。
「すこやんに電話だーー!!」
福与は急いで未送信メールを破棄、携帯をリダイヤル画面へ切り替えた。
しかし、その直後 ───────── ピンポン、と玄関側からインターホンが鳴る。
室内全体に響き渡る音に福与も気付くが、ここは迷わず無視を決め込んだ。
訪問者には申し訳ないが、こちらは失恋するか否かの瀬戸際、現状を占める上席は、大物熱愛プロ雀士だ。
リダイヤル最上部にある電話番号を押し、福与は耳に集中する。
インターホンは引き続き鳴り響いているものの、放置にして黙殺する。
『はい』
『あ、もしもしすこやん?』
『こーこちゃん……』
初速で繋がった電波。
福与が二言目を放つ前に、小鍛治の疲れたような声が続く。
『ごめん。インターホン、私』
『……嘘っ!?』
福与は玄関モニターを確認、ドアへと走った。
ドアを開けると、帽子を目深に被り、薄色のサングラスをかけた小鍛治が立っていた。
「急に来ちゃってゴメンね。今日休みって聞いてたから」
「すこやんの変装ファッション久しぶりに見た」
「……ん。最近は追われることもなかったからね」
小鍛治の口から特大の溜息が落ちる。
「…………TVか新聞ってもう見た?」
「報道の件?」
「そう。………家でも取材の人が待ち伏せしてて……全然落ち着かないよ。……暇だったら匿って」
「それは余裕で構わないけど。何と言うか…すこやんの目の前の人間もじっとはしていないかも?」
「だよね。でもこーこちゃんにからかわれる方がまだマシだよ」
「二十四時間密着取材、」
「や、密着はしなくていいから!!」
小鍛治をリビングへ通した福与はコーヒーを用意し腰を下ろした。
TVは点けっぱなしになっていたので、まだ画面内では ”大物の熱愛報道” が論じられている。
微妙な渋面で観ている小鍛治に、福与が言う。
「すこやん、アラフォーにして初めての熱愛報道らしいけど」
「アラサーだよ!? いや、このやり取り恥ずかしいから止めようって昨日言ったばっかりだよね!?」
「言ったっけ?」
「言った!」
「えー」
「こーこちゃんだって直ぐにこっち側だよっ」
「けど私がすこやんの年齢を越すことはないから大丈夫!」
「もー!!」
と、お決まりのやり取りをしたところで、福与はランダムにチャンネルを回した。
そして電源を落とす。
「他の芸能ニュースでもすこやん一色みたいだけど。……すこやん的にはどうなの?
今回の報道」
小鍛治からの一瞬のアイコンタクト。
短時の緊張に福与が目弾く。
この報道が誤解であれと心の隅で願懸けた。
「……うん。困ったよね。ここまで騒ぎになっちゃったからには各方面へ説明する義務があるだろうし」
「説明……。弁明じゃなくて?」
「? うん。弁明の必要はないけど、最低限の説明はしないと」
「…………」
小鍛治は追い回された疲れこそ見せるものの、報道陣への対処には慣れたものなのか、あっけらかんとしている。まるで今回の報道もどうということのない風に感じられた。否定の意思も見えず、小鍛治本人には隠しているつもりさえ無かった可能性がある。
福与は、ジャーナリスト魂が疼いていることにして、ググと握った拳をマイクに小鍛治へ問う。
「例の写真について一言お願いします、小鍛治先生!」
「何でいきなり丁寧になったの!? …………けど、あんな風に撮られるなんて思わなかったよ…」
「ちゅーしてる姿を」
「し、してないからね!? 撮られた角度の問題だよっ」
「だけどあの近さだと結局ラブラブな訳じゃん?」
「ち・が・う。確かに会ってることは会ってるけどね。ほぼ毎日」
「毎日!?」
「ぇえ!? どうしてそんなに驚くの!?」
「だっ……て!ラブラブ過ぎでしょ!! どこまでイってるのかとっ」
「いってません! なんてこと訊くの!?」
「スーパーアナウンサーの務めとして!」
「意味分からないよ!?」
「でも必死になるところが怪しい」
「怪しくないからっ」
福与は更に問う。
「─── ちなみに出会いは何処で?」
「ちゃんとしたのは職場でしょ?」
「第一印象は?」
「……元気で可愛い子?かな」
「お泊りとかも?」
「何度もあるよね? よく送ってくれたりするし助かってるよ」
「うわっ」
「え!?」
「そんな平気な顔で何度もとか!」
「何が!?」
「好きにも程があるじゃん!」
「好っ!?…………そ、え。………ま、あ……そうかな??」
「うわー……」
拳型マイクを下げた福与はテーブルの天板に顔面を沈めた。
「こーこちゃん?」
「…………たはは、失恋ここに極まり」
「?」
「はあ。もう逆に言っちゃおうかな」
残念無念、報道に誇張こそあれど嘘はないようだ。
終盤しどろもどろになった小鍛治の赤さがリアルで、妙に曖昧な肯定も、現実味を増してくれた。
応答限りの内容では、付き合っているのかいないのかの判定までは難しいが、小鍛治は間違いなく写真の相手が好きなのだ。話し方の雰囲気がそれを伝えている。
相手側が小鍛治を好いているのならまだしも、小鍛治側からなのであれば割り込める隙がない。
福与は完全敗北を認めるしかなかった。
「あのさー、すこやん?」
「うん?」
「取材のノリはここで終了。 そんで……ちょっと真面目な話しても良い?」
「良い……けど、急にどうしたの?」
完全敗北を喫した福与。
だがせめて写真の人間に一矢くらいは報いてやろうかと顔を上げた。
眼前の小鍛治に八つ当てるつもりは毛頭ないので、あくまでトーンはいつものままだ。
「今だから言えることなんだけど」
疑問の小鍛治が頷く。
「実は、私もすこやんのこと ───」
ここで一弾指、福与の思考がささめいた。
後のことを考えろ、気まずくなるに決まっている。
福与は思う。
それは嫌だな。
フラれようとするこの状況下でさえも、自分は彼女のことを好きなままでいるのだ。
だけど、押し留めたままにしておくのも凄く悔しいな。
たぶん、いや絶対、この写真の相手よりも、私の方がすこやんのこと好きでしょ。
だから、言わないでいるのは、無理で、悔しくて、ああやっぱり無理だな。
「実は私もすこやんのことが好きでした!」
言葉の勢いに、福与がダンッとテーブルを鳴らす。
変な空気にはさせたくなかったので、強く笑ってみせた。
「………な、に?」
「あー信じてないっしょ。これ本当だから」
全く消化出来ていない様子の小鍛治に、福与がもう一矢を重ねる。
「本気で好きだったんだよねー」
「………え…っと?」
「写真の人に宜しくお願いします。あーでも、これからも仕事は一緒にしたいし、遊びにも行きたいから、気まずくとかはならないでもらえる……と?」
「…………」
と、おもむろに、困惑顔のままの小鍛治がTVを点けた。
「すこやん?」
TVは引き続き、小鍛治健夜の熱愛報道を続けている。
小鍛治の功績を称え終わると、コメンテーター達の話はまた写真に戻っていった。
福与は小鍛治が黙っていたので、同じく黙っていたが、彼女が 「これ」 と敢えて何度も見た写真を指さす理由が見出せず 「?」で返した。
そして、そんな福与を見た小鍛治が、今日一番、腹の底からといった大声を出す。
「いや、この写真に写ってる人、こーこちゃんだからっ!!!」
「………………………………え?」
先の小鍛治を凌ぐ停止で、福与が理解を失った。
小鍛治が何を言ってるのかが綺麗さっぱり入ってこない。
「……こ、こーこちゃん分かってて言ってたんじゃなかったの? ち、ちゅーだとか、ラブラブだとか……お泊りだとか……。私はてっきりそれでからかってるんだと……」
「えぇえええええええー!?!?!?」
「これこーこちゃんの車でしょ。暗いけど、よく見たら車種もほら」
「!?」
「三日前泊まりに来たでしょ?」
「はい。トマリマシタ」
「……それで、仕事帰りに送ってくれる途中、目にゴミが入ったとかで」
「は!!」
「中々取れないから、車を停めて私が見たよね?」
「その時のってこと!?」
「そうだよ」
「弁明の必要がないってそういう!?」
「誤解は誤解だけど、相手がこーこちゃんだもん」
またもやテーブルに脱力した福与の頭がゴツンと音を立てた。
いくら動揺していたとは言え、自分の車も見分けられなかっただとか、あまつさえ告白してしまっただなんて、もう笑うしかない。
冗談抜きで笑うしかないので、福与は伏せたままとことん笑ってやった。
「私バカ過ぎでしょ」
「こ、この場合、私も充分に恥ずかしいよ!! だってこーこちゃん、さ、さっき何言って」
「そだね」
しばし腹を抱えた福与は、空のカップに口を付けている小鍛治を見ながら呟く。
「でも、」 写真の相手に向けられていた彼女の反応が、自分にあったと言うのなら。
「ダンラスのオーラスに役満ツモった気分。実況してたら叫んでたところ」
小鍛治の視線が福与に向く。
「すこやん。悪いけど、この熱愛報道 ”本物” の熱愛報道ってことでどう?」
福与が正面から小鍛治の手を握る。
「さっきのやつ、ちゃんと改めて言うから聞いて」
小鍛治が息を呑む。
「私は、すこやんのこと ───」
あと数秒。
あと数秒後には、誤解の熱愛報道が、ただの真実に変わる。