1113 Advantage Birthday! 0924



さて問題です。今日は何月何日でしょう。
私、竹井久は目の前の福路美穂子にそんな質問を投げ掛けた。
ちょっと笑った風な言い方になってしまったのは、この状況が実際にそうであるからだ。
美穂子は今、私の膝の上にいる。
壁にもたれ座っている私の伸びた膝の上、乗るように向かい合っていた。
顔はほぼ正面。近距離。
ただし、こちらの自重は完全に背へと預けているので、私の視界の方が僅かに低い。

 「十一月十三日、です」
 「当たり。じゃあ今の時間は?」
 「夜の十一時五十五分……ですね」
 「せーいかい!」

指をパチンと鳴らした私は大きく言った。
次の私の台詞を予見しているのだろう、察しの良い美穂子が居心地悪そうに目を伏せる。
両膝に添え置かれていた手にも力が入った。

 「おかしいわね……そろそろ日付も変わりそうなのに、私まだ美穂子から誕生日プレゼント貰ってない気がするんだけど」
 「わ、渡そうとはしています。さっきから何度もっ」

あ、可愛い。
声なんか裏返しちゃって、懸命に答える美穂子に率直な感情が出た。
初めは悪ふざけのつもりで膝の上に乗せたのだけれど、美穂子より背の高い私が上目遣いで彼女を見る機会は少なく、これがまた絶景を収めてくれるようなので、悪いが現状維持で付き合ってもらう。
茹蛸状態の美穂子だって満更でもなさそうだしね。

 「─── し、しますよ」
 「うん」
 「本当に、しますよ…!」
 「いつでも良いわよ」

はあ。このやり取りも何回目かしらね。二桁はいったかも。
今日一日の回想を巡らせながら、私は美穂子の胴に組み付いた。
引き剥がされないことは承知の上で、間近にある嫋やかな胸に顔をうずめてみると、美穂子の活発な鼓動が聞こえた。
微かに遅れて日向のような香りが揺蕩う。

 「してくれるまでは離さないから」

目だけを差し向けて言い張った私に美穂子の心音が加速する。
別に根比べをしたい訳でも、当然苛めたいって訳でもないんだけど、ほら、元はと言えば美穂子が言い出したことなんだしね。
私は私の特権を可及的速やかに行使させて貰っただけ。
今くらい楽しんでる誕生日も無いんだから、折れることなんて出来ないでしょ。

 「みーほーこー」
 「どうして、き……キスが誕生日プレゼントなんでしょう」
 「だって貴重じゃない。夏からの付き合いで、美穂子からのキスは一回も無かったし?」
 「久は……私からのキ……スなんかで喜んでくれるんですか?」
 「そうでもないと、年に一度の誕生日カードを切ったりしないわ」

美穂子の亜麻色の髪を一房掴んで、私はここぞとばかりの澄ました顔を覗かせた。
そして、言外に幅を持たせて続ける。自分の内側だけで 「美穂子が自分の誕生日にそうしたようにね」
……あれはキスなんて甘いものじゃなかったんだから。
クスリと思い笑いをする私。
美穂子は不思議そうに首を傾げた。
彼女の細い髪の一本一本が、指中でサラと踊り落ちる。
そう、先にエース級のカードを切ったのは、意外にも美穂子の方だったのだ。
こちら側からすると、先にカードを ”切られた” という結果になるだろうか。
私が今日の十三日にしようと企んでいた事は、九月二十四日に攫われてしまった。
私は見誤ったのだ。
あの時ほど、こう思ったことはない。
やられた、ってね。




話は九月初旬と二十四日に遡る。
合同合宿や全国大会を通じてすっかり顔馴染みとなっていた私と美穂子は、部活動引退に関わらず交友関係を続けていた。
あの時の私達はまだ恋愛の関係になくて、友人の域を越えてはいなかったのだけれど、それでもゆっくりと、確実に、二人の仲が変化を携えているのは避けようのない事実だった。
動いていて、進んでいて、気まずくなく、苦しくもなく、掴まず届けず触れず、そのくせ、他者では得られない指定じみたものが通り抜ける。
それはいつからだったのか ─── 残念。覚えていない。
恐らく最初に ”始めた” のは美穂子の方だが、彼女とよく目が合った私も、知らずの内に始めていたのだと思う。
麻雀だけを題にして会っていた仲が、ただ遊ぶ目的になって、果ては、何の用もない日に待ち合わせたのだ。
私は自問自答する。 麻雀もない、遊びもない ─── ねえ、だったらこの時間には何があると思う?
気付いた時、「簡単」 と思った。認めた時、「どうしようもない」 と思った。
性格も大きく違っていて、麻雀のプレイスタイルだって似ない私達だが、それは互いに無いものばかりを持っている裏付けだから、惹かれ合あった事に寧ろ疑問は感じなかったのだ。ただの簡単でどうしようもないことだった。
自身に明るくない美穂子がこの境目をどう読んでいたのかは定かではない。
しかし私の主観は、暗黙の両思いと取っていた。
形にしていないだけの、そんな二人。
美穂子もそう感じてくれていたら良い。
だから言おうと考えてた。
満を持して、自分の誕生日を契機に、私が美穂子の事をどう想っているのか。
プレゼントは彼女からの ”返事” を望もうかな、とかね。
ただその前に九月二十四日 ─── 美穂子の誕生日があるけど、それは普通に友人として祝わせて貰えれば良いかな、と。




そうして、九月初旬。
『二十四日、美穂子の誕生日よね。当日会える? お祝い出来ればって思うんだけど』
カフェで話していた私がそう切り出すと、美穂子は少し驚いたように私を見た。
ありゃ。ひょっとしてもう先約で埋まってる?
私は逸るが、一息あって、美穂子は会えると頷いた。

 『よし、じゃあ細かいことは後々に決めるとして。プレゼントの希望があれば教えて頂戴』
 『……希望、ですか』

ホとして訊ねた途端、美穂子が黙った。
私の台詞が聞き取れなかったというような結びではない。何かを一心に考えているような沈黙だった。
今にして思えば、これは美穂子が意を決した曲折だったのだが、それを知らない私は、ただの遠慮の迷いだと捉えた。

 『気を遣わないで。私の出来る範囲なら何でも良いわよ』

見誤った私は言う。
すると、しばらくしてから美穂子は思い切ったように応えた。
いつものように謙虚な姿勢で、だけど不抜とした声で。

 『厚かましいお願いになりますが』

何だろう。
余談を許さない直向きな瞳が私に語りかける。

 『その日、久に伝えたいことがあります』

伝えたいこと。
……伝えたいこと??
なっ。まさか…………

 『内容は、ご迷惑をお掛けするようなことかも知れませんが、嘘でも冗談でもありません』

間違いない。
私は思わず飲もうとしていた紅茶を喉に詰める。
やられた。
確かにこの瞬間、私はそう呟いた。
理解を回すまでもない。
やられた。
先を、越された。

 『だから久はそんな私の話を真剣に聞いてあげて下さい』

美穂子……それってアレよね、と野暮なことを訊こうとして、空気と一緒に飲み込んだ。
忍ばせた溜息を落とす。
やれやれ、儘ならないものだな ─── 私は苦笑交じりに髪をかきあげた。




そして訪れた二十四日。
私は、まるで一生分の勇気を使ったかのような美穂子の微笑を見ていた。
目尻に漂う慈しみ、口角には穏やかさが溢れている。
『好きです』 決して動じない眼差しの元、美穂子は私に告げたのだ。

 『久のことがずっと好きでした』

一度天を仰いだ私は俯いてガシガシと頭を掻いた。
福路美穂子は竹井久が好き。
そんなの、とっくに知ってた。
でもそれはきっと美穂子だって同じで、自信とまではいかなくても、私の心を予感していなかった筈はない。
竹井久も福路美穂子が好き。

 『あー、やられた』

私は美穂子の肩を抱き寄せながら、正直に悔しさを訴えた。
確かに私は悪運に強く、好運に弱いきらいがあるのだけど、こんな部分にまで顕れてくれるとは。

 『私が言いたかったのに』
 『……』
 『美穂子のことが好きって』

腕の中で固まっていた美穂子がその一言で抵抗を解いた。
美穂子は深く息を吐きながら、優しく安心したように眉根を寄せて言った。

 『先に好きになったのは私ですから。ここだけは譲れませんでした』

私はこの言葉に何も言い返せる気がしなくて、はにかみつつ美穂子を抱き締める。
─── 全く、本当に、やられたものね。




かくて、先にカードを切られた私は、自分の誕生日に別の願いを持つこととなった。
今、膝の上に乗っている美穂子がそれ。
考え付いたのは、私の誕生日祝いを計画してくれているという美穂子から、随分と控えめな誘いの電話があった時だ。
美穂子は 『予定が空いていれば』 ─── なんて台詞を口にしたけど ─── 『空けてない訳ないじゃない?』
当初の目論見は逃した私だが、やはり私も、年相応には女子らしい思考を持っているらしかった。
恋人となった人が祝ってくれる誕生日を楽しみにして、その日を待ち遠しく思ってる。
自宅同士が近いとは言えない私達だが、幸い、今年の十一月十三日は日曜が重なってくれていた。

 『うん、そんな感じで決まりね。当日は夜まで遊んで、夕飯の買い出しも一緒に行きましょう』
 『はい。駅で待ち合わせですね』

会う確約を取り付け、着々と予定を決める私達。
ちなみに、その日は時間が多く取れるから、

 『いつもの雀荘もどう? 久しぶりに美穂子と打ちたいわ』
 『良いですね。私も打ちたいです』

デートプランの中にはちゃっかりと雀荘も並んでいたりする。
他の学生達がカラオケに行くように、雀士である私達の日常には麻雀が存在するのだ。

 『負けないわよ?』

電話口で小さな笑い声が聞こえた。

 『それは私もです』

私と美穂子が卓を囲んだとして、それを直接対決として考えるのなら、二人の戦績はほぼ五分五分になるだろうか。
各々に得意とする分野はあるが、仮にも双方が全国経験者、最終的には互角の白熱が待っている。
勝って、負けて、勝っては負けての繰り返し。
麻雀ともなれば実は二人とも負けず嫌いな一面を秘めているので、美穂子が成長すれば私も成長し、私が伸びると美穂子も伸びる。
そういった意味でも、私達は良い関係だと言えた。

 『あ。私の家で食事と一緒にケーキも作りますね』
 『それ私も手伝う……って言いたいところなんだけど、私 料理出来ないのよねえ……』
 『久の誕生日なんですから、ゆっくりしていて下さい』
 『面目ない。でも美穂子の料理とケーキだけでも充分誕生日プレゼントになるわね』
 『とんでもありません。プレゼントは別にこれから用意させて頂こうと思っています』
 『至れり尽くせりね』
 『私の誕生日には私の手前勝手をきいて貰いましたので、もし久も何かあれば……』
 『美穂子が選んでくれてた物なら何でも喜ぶけど。…………そうねえ』

プレゼント。
目下企んでいたことは遂行済みの形だから、欲しい物とはいっても本くらいかしら。
うーん。お約束で 『美穂子』 とか言っても通っちゃいそうだけど、でもプレゼントでお願いしちゃうと強制みたいになって不本意ね。趣味じゃない。
たまには美穂子からのキスくらいはねだりたいかなって思うけど。
─── あ。
美穂子からのキス?
なんだ。
私あるんじゃない。
しかも彼女からしか貰えない欲しいモノ。

 『じゃあリクエストさせて貰おうかな』
 『はい』
 『たぶん美穂子の努力が必要になるんだけど』
 『努力……ですか。頑張ります』
 『それはね ─── 』




さあ、時刻は十一月一三日・二三時五九分を回った。
後少しで私の誕生日は終わる。
だけど私はまだプレゼントを貰えていない。

 「残り三十秒ね」
 「……!」
 「二十秒」

秒針のカウントダウンを愉しく読み上げていると、ようやく美穂子の手が首に回ってくれた。
けど、動く気配はない。
個人的にはこの距離で止まる方が照れくさいと思うんだけど、どうやら美穂子はそれどころではないらしい。

 「十秒」

九。
八。
七。 厳しいかしら。まあこの展開も美穂子っぽくて───
六。 「久っ」
五。 あら。
四。 「…ん」

三。 「遅く……なりました。誕生日おめでとう御座います」
二。 「…………頬、なんだ?」
一。 「えっと……これでも……とても緊張したんですけど」

零。
美穂子の困ったような愛らしい笑み。
それにはまるで私に告白をくれた時のような精一杯が滲んでいた。
頬に残ったものは須臾も濃密な恋情で、私は口元を期待していた筈であるが、正直、美穂子が唇を避けてくれて助かったかも知れないと思う。この途方もない威力は想像以上で、直接唇にこられたものなら、お約束、美穂子を欲した可能性は否めない。
今はもう十四日の月曜日だ。数時間後には学校が控えているから、我慢も必要ってね。

 「久、あのっ」
 「ん? 美穂子…っ」

ああ……これは駄目でしょ、美穂子。
そんなに必死に目を閉じて、そんなに必死に塞がれたんじゃ、裏側に貼り付けた私の我慢も台無しになっちゃうじゃない。

 「日付……間に合いませんでしたけど」

恥ずかしそうに、でも、嬉しそうに。

 「頬じゃ残念そうだったので……」

頑張ってくれたんだ。

 「こっちが……誕生日プレゼント、です。おめでとう御座います」

もう、何て言うか。
ありがとう、じゃなくて。

 「好き過ぎるわ、美穂子」

ねえ、私はちゃんと我慢したわよ?
最高の誕生日プレゼントを渡した責任はしっかり取りなさいね。


















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