No,1の独占権



 「もう直ぐ華菜の誕生日ね」

二月も下旬に差し掛かる頃、あたし池田華菜にそんな声が掛かった。
声の主である福路美穂子 ─── キャプテンは、どこか楽しげにあたしの頭を撫でる。

 「は、はい!」
 「ケーキは当日作ってくるとして…。他に何か華菜が欲しいものはある?」

実は数日前くらいから意識してしまっていたあたしの返事は最高に早かった。
部員八十名分の誕生日をいとも容易く記憶している人にとっては、こんな台詞も、もう月々の恒例行事なのかも知れないが、あたしには飛び切りとなるのだ。
キャプテンの作るケーキはそこらの洋菓子店で買ったものよりも美味しいし、それにその日だけは、雑用に指導に毎日を忙しくしているキャプテンとの時間が少しだけ増える。
たかが少しの時間だと侮ってはいけない。
総合すれば数分レベルの話だとしても、嬉しいと言うよりは幸せが勝るキャプテンとの刻が増えてくれるのなら、それが重要で肝心だ。
今のあたしなら、ニャーと叫びながら校内を走り回れるに違いない。

 「私に出来ることなら何でも言ってね」
 「な、何でもですか…!」

ゴクリと息を飲むあたし。
欲しいものと問われた時、心が真っ先に目の前にいる人を求めたが、これはもちろん口に出来るものではない。冗談である。
……言ってしまえば冗談にはならなくなってしまうので、ここは意地でも冗談とする。
それに!こういったものは貰うものではなく、自分で手に入れなければ!
よしんば頂ける可能性があったとしてもキャプテンの気持ちを蔑ろにする事に何の意味もない訳だし!
って……何考えてるんだろ、あたし。

 「華菜に喜んでもらえるのなら私も嬉しいわ」

ざッ雑念はこの際置いておくとして。

 「で、では一つだけ」

あたしはこの日の為に練習しておいた台詞を急いで叩き起こした。

 「…キャプテンにお願いがあります」

冒頭は躓いてしまったけれど、これなら合格ラインだろう。
あたしにはキャプテンに下の名前で呼んでもらって、一緒に帰るようになったあの日から、夢見ていたことがある。
いつでもお願い出来た簡単なことなのに、キャプテンなら笑顔で応えてくれただろう簡単なことなのに、気恥ずかしくて、ずっと言えなかった。

 「誕生日の日だけで構いませんので…!」

だが今は違う。
誕生日というほんの少し特別な日を控え、あたしにはその後押しがある。

 「手…」
 「て?」

手を繋いであたしと帰って下さい!

 「……を」

手を、繋いで、あたしと、帰って、下さい。

 「てっ…、」
 「?」

手を繋いであたしと帰って下さい。
手を繋いであたしと帰って下さい。

 「 ─── 手」

よし。言ってしまえ。
家で地道に練習したこの一言を!
厚かましく、大胆に、そして加減も遠慮もなしにっ。
ここは一世一代の勝負所!
華菜ちゃんやれば出来る子だし!!

 「てててて、手加減なしであたしと勝負して下さい!!」

ニャっ!?

 「華菜…」

ニャアァァー!?
全然、全っっっっ然、まったく違うし!
心の声と台詞が混じった!?
キャプテンに試合を挑んでどうするっ。
緊張し過ぎたせいで言葉があらぬ方向へ変換されて……
は! しかもキャプテンが何やら神妙な顔付きに!?

 「今まで手加減なんてしているつもりはなかったんだけど…そう見えていたのなら謝らなきゃね」
 「ち、違うんですキャプテン」
 「ゴメンね。確かに部内の試合では公式戦の時のようには臨めていなかったかも知れないわ」
 「あの、違っ…」
 「その日は私も公式戦と思って卓に座るから、本気で試合しましょう」

真剣に頷き考えてくれるキャプテン。
今更、「間違えました」とは言い出せないあたし。
他の面子もレギュラー陣でと決定したところで、あたしは半分泣きたいような気持ちで、「……宜しくお願いします」とだけ言ったのだった。




今日、二月二十二日。あたし池田華菜が一つ歳を重ねた放課後の部室。
あたしを待っていたのは、コトの成り行きを知る苦笑い満載の吉留未春 ─── みはるんと、同じく苦笑いの深堀純代 ─── すーみんだった。
二人が座っている卓、つまりこれから行われる変則試合に使用される卓の周りには、早くも他の部員によるギャラリーも出来始めていて、文堂星夏 ─── 文堂はあたし達と同じレギュラーということもあるのか、皆よりも一歩前の位置にいる。
卓の真隣にいる久保貴子 ─── コーチは何故か見るからに機嫌が良い。

 「みはるん…」
 「華菜ちゃん、頑張って」
 「すーみん…」
 「……」

みはるんもすーみんも直接は言わないけれど、卓についたあたしを見る目がとても悲しげだ。
文堂に至っては儚いとも言える視線である。
全員の心情を具体的に訳すのなら、曰く、ご愁傷様。
あたしの失態を冗談でもからかったりしない皆の気遣いが痛い。

 「きゃ、キャプテンは…?」

レギュラー陣に漂う微妙な空気に負けじと訊ねてみた。
残り一つとなった空席、その場を埋める人の所在はまだ部室内にはないらしい。
用事さえなければいつも一番に部室にいてくれる人だから、仮に今日の約束がなかったとしても、あたしは同じ質問をしていたことだろう。
ぐるりと卓周辺を見渡す。
みはるんが答えてくれようとしたのが呼吸で分かった。

 「キャプテンなら」

が、その次の瞬間には、答える必要がなくなってしまった。
コーチがニヤリとしたかと思うと、部室扉が開く音がした。

 「お待たせしました」

声。
出入り口に集まる注視。
その拍子に凛乎とした瑞気が撫で抜け、一切が鎮まり返った。

 「華菜、吉留さん、深堀さん、始めましょうか」

普段の風越麻雀部ならば、福路美穂子 ─── キャプテンが部室に来た所で静かになることはない。
待ち人来たると、逆に大多数の部員が喜んで色めき立つから、騒がしさが一層増してしまうくらいだ。
それが、今日は押し黙った。
あたしも何も言えなかった。
怖さなんて欠片もないのに、桁違いの風采を受けた空間とあたしの身体とが小刻みに微動していた。

 「ルールは校内ランキング戦と同様のものを採用します」

あたしの感覚処理は、キャプテンの声に間に合っていない。
粟立った皮下もそのままに、前を見ているだけに過ぎない。
でもだからこそ、五感以外の部分で触れていた。
今のような威容こそが自己の麻雀のみに傾注したキャプテン本来の有り様だ。
既にあたしの手中では汗が掴める状態となっている。
相手の闘志さえ同時に引き出し兼ねない程の洗練された刺激は、全くこの人らしい。

 「起家は、華菜」

存分に透徹された両目の虹彩が、あたしだけを見ていた。
強く優しく、あたしだけを見ている。
福路美穂子の全力が不足なく池田華菜に向いているのだと思い知った時、あたしは現金にも、あの日に言い違えた自分を褒めてやりたくなった。 手を繋いで帰るチャンスを逃したのは遺憾であり未練であるが、その先で日常外の千載一遇と出合うことが出来た。
この中心を具(つぶさ)に駆け巡るような高潮は、他のメンバーには絶対味わえない。
麻雀を愛している人、そして風越女子麻雀部を惜しみなく愛している人、そんな人の本気 ───
それが今、あたしだけのものなのだ。

 「…よし」

しっかりしろ、あたし。
あたしは今からこの人との闘牌に臨むのだ。
小さな独占の嬉しさに惚けている場合ではない。

 「………」

稼働する自動卓、せり上がる牌。
大きく息を吸って吐いた。
うん。配牌は悪くない。
ツモの感触も絶好調。
ドラだってあたしに向いている。
最高のキャプテンにあたしも最高の麻雀で闘える。

 「リーチだし!」

ありがとう御座います、キャプテン。
あたしが今日得るものは、僥倖から得たこの時間は、図々しくも至福の誕生日プレゼント ───




奇跡の試合は自分の不甲斐無さによって終局を迎えた。
得点がマイナスを示したのは何本場だったっけ。集中力を極限まで酷使してしまった為、実はあまり覚えていない。
試合の後はコーチに散々怒鳴られたし、溜め息も止まないし、こうしてキャプテンと帰宅路を歩いている現在も落ち込みっぱなしであるが、しかしそれでも、あたし池田華菜は笑顔だった。

 「お疲れ様、華菜。 あれで誕生日プレゼントになったかしら?」
 「はい、楽しかったです。今でもドキドキしてるし…」

あたしがどれだけ贅沢なモノを貰ったのか、それをキャプテン本人に上手く説明出来ないのが悔やまれた。
全身で表現する度胸もないから、たどたどしい語列でしかこの気持ちを返せない。
 
 「私もよ。華菜はまた強くなったわね」
 「…! ホントですか!?」
 「もちろん」
 「嬉しくて今日は寝れそうにありません」

でもきっと、何もしなくても伝わってしまっているのだろうとも思う。
だってあたしはいつだって感情を全面に出してしまう性分で、キャプテンが絡んでいるとなればそれはもう余計なくらいに溢れ出てしまうのだから。

 「はい、これ」
 「にゃ?」

あたしが恍惚としていると、キャプテンが小振りの箱を取り出した。
受け取ると、接近する甘い香り。

 「これ…ケーキ」
 「張り切って作ったら作り過ぎちゃって、華菜の分は量が多くなってしまったの。家でもお祝いがあるでしょうから、無理して食べなくても良いからね」

キャプテンが張り切って作った。
あたしの為に ”張り切って” 作った誕生日ケーキ…!

 「た、食べます!何があっても全部残さず食べます!!キャプテンの手作りケーキを残す人間なんいませんよっ。ありがとう御座います!」

あたしが大切に箱を持ち直していると、キャプテンが何かを思い付いたかのように言った。

 「そうだ」
 「?」
 「今日は寒いから、華菜さえ良かったら手を繋いで帰らない?」
 「な…!?」

驚きの幸せが連続して眩暈がしそうだった。
さっきの分も合わせて、たぶん今日のあたしは世界の誰よりも幸福に接している。

 「あ…やっぱり嫌だった?」
 「そそそそんな! 是非、お願いしますっ」

本気のキャプテンを前にした時と同じ想いが、更に緊張を増して反芻された。
しっかりしろ、あたし。
あたしは今からこの人と手を繋いで帰るのだ。
小さな独占の嬉しさに惚けている場合ではない。

 「し、失礼します」
 「うん」

けれど、誇れ。
思い上がっても良い。

 「誕生日おめでとう、華菜」

今だけは間違いなく、この人はあたし池田華菜の独り占めだ。


















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