彼女はスーパーアナウンサー



小鍛治健夜は今日の自分の試合結果を振り返りながら嘆息していた。
真夜中の自室であるというのに一向に安らげず、動作の始終もどこか重たげにある。

 「負けちゃったなあ…」

小鍛治は傍にあったクッションに顔を埋めた。
気分を低落させた原因は実に簡素であるが、その詳らか(つまびらか)さが余計に居心地を悪くしてくれるようだ。
年に何百何千という試合をこなす人間がいちいち敗戦の度に沈んでいては始まらないと、理解は万全にしているものの、その合理性と心組みとの到着点が必ずしも一致するとは限らない。
小鍛治にとって今日の試合は賞金戦よりもタイトル戦よりも意義があるものと言えた。
富や名誉より価値ある対局。飾り気は要らない。
平凡で構わないから、勝利した姿を見せたかった人達がいた。

 「あの打牌は絶対ワザとだろうな…減数覚悟で私の親を流しにきた。それで持っていかれて、あの裏ドラが最後まで響いて…。はあ、やっぱりあそこは鳴いておくべきだったかな。最悪フリテンになってもトップの手を止めてこっちも手変わり。リーチは捨てて……これで当たり牌が河に二枚になって…… ─── え?」

小鍛治が考察に没し掛けた時、メールの到着を知らせる着信音が鞄の中から聞こえた。
閑静な部屋に広がる機械音はくぐもっていても大きい。んー、とまだ意識を半ばにしている小鍛治であるが、鞄の小口より音の主を探り当てた。
メロディを鳴り果たした音の主、携帯電話はディスプレイの明かりのみを保っている。
小鍛治は慣れた手付きでボタンを押し、届いたメールを開いた。

 「こーこちゃん…?」

件名が空白であることを確認しながら小鍛治は [From] に表示されている名を呟く。
差出人の正式名称は福与恒子。
小鍛治がこーこちゃんと呼ぶアナウンサーの友人だった。
続いて小鍛治は本文欄に目を向け、

 [ 外! ]

無雑過ぎる文面を読み上げた。

 「へ? 外…?」

クッションから身を離した小鍛治は窓側へと移動する。
文面の意味は謎であったが、この単語から分かる事がそれ以上にもそれ以下にもない。
とにかくは指示されている場所を見てみようと思い、景色を仕切っていたカーテンを引いた。

 「まさか…」

暗がりの中に目を凝らして数泊。
小鍛治は頼りない光を放つ街灯の横にチラチラと動く影を見付けた。

 「こーこちゃん!?」

冷えた夜気の下、白い息を吐きながら立っていたのは福与恒子であった。
後ろには彼女の愛車も控えている。
福与も小鍛治の姿を認めると、携帯電話を操作し始めた。
手を振られたので振り返す。
間もなく小鍛治の携帯が電話を示す音で鳴った。

 『やっほー、すこやん。電気点いてたから起きてると思った』
 「何してるの!?」
 『仕事終わりにすこやんをドライブに誘いに来たに決まってんじゃん。すこやん試合終わったんだからどうせ暇でしょ?』
 「プロの仕事は試合だけじゃないよっ。どうして暇前提なの!?」
 『忙しいの?』
 「…………確かに明日からしばらくオフだけど」
 『じゃあ良いじゃん。行こう』
 「私は暇でもこーこちゃんは明日仕事なんじゃ…しかも家の方向逆」
 『下で待ってるね。じゃ』
 「あ!こーこちゃ」

小鍛治の耳に通話切れの合図が届いた。

 「えぇえええ…」

非難の声を上げながらも、小鍛治は大急ぎで着替えを済ませて上着をはおう。
そして、「いつも急だなあ」と頗る迷惑そうに言って、頗る嬉しそうに自宅を後にした。




ゆったりとした速度で進む車の振動と、いつからか指定席となっていたサイドシートが快い。
暖房の効いた車内と外の温度差は激しく、結露がフロントガラスを濡らしている。
小鍛治は流れる夜景から目を離すと福与の横顔を映して話し掛けた。

 「こーこちゃん、こんな時間まで仕事だったの?」
 「うん。ここまで遅くなったのは自業自得なんだけどさ」
 「自業自得?」
 「誰かさんの試合をTV局からばっちり応援してましたっ」
 「…ぅ」

バックミラー越しに行われた目配せに小鍛治が唸る。
福与が再び前に視線を戻した。

 「すこやん惜しかったね。あの南一局って、やっぱ振り込みじゃなくて差し込み?」
 「たぶん…」
 「満貫ですこやんの親を流せたら安いもんねー」
 「読み負けちゃった…」
 「すこやんも次にダブリーとか平気でツモってたけど……あれはやっぱ積み込み?」
 「違うよ!? 全自動卓だってば!」
 「全自動卓に仕掛けがっ」
 「ないよ!!」
 「あはは」

車が赤信号により止められた。
ハンドル上部に顔を乗せた福与の笑い声が車内に響く。
それを見た小鍛治もつられて小さく噴き出した。

 「私がさ、すこやんの試合を実況出来たら良いとも思うんだけど、出来ないから残念だね」
 「…そういえば、周りのプロの子もこーこちゃんの実況には数回当たってるみたいだけど……私は、ない?」
 「上司の話だと依頼はあるみたいだけどさ、私が断ってるから」
 「……どうして?」
 「あ、すこやん私の実況がないと寂しい?」
 「ちょ、ちょっと気になっただけだよっ」
 「照れなくても良いのに。─── ほら、実況は選手に対して公平でないと駄目じゃん。 私がすこやんの出てる試合なんて実況したら普通に応援し出すでしょ。 表現の自由と職権乱用の戦いってやつ?」
 「……少し違うような気がするけど…そ、そうなんだ」
 「今日の試合もさー、すこやんの得意な東風戦だったらって思いながら手に汗握ってたし、何か心臓にも悪かったしね。こんな調子じゃ、いくらスーパーアナウンサーの私でもすこやんの実況だけは無理」
 「喜ぶべき、なのかな…。確かに少しは残念?のような気も……」

疑問符を寄せながら呟く小鍛治であるが、砕けた親密さは身に溶け、その面輪からはすっかりと緩んだ頬が覗いている。
福与がそんな小鍛治を横から盗み見た。そのまま爽々とした一瞥へ変えて言う。

 「はあ、うん。ま、でも、」

サイドシートの肩部にポンと手を置かれ、小鍛治は今までよりも深く隣へ顔を向けた。
二人の狭い視界が真正面として結び付く。

 「何?」

問い掛ける小鍛治に、福与は大口の笑い顔を小口の朗色へと繋げて続けた。

 「すこやんが元気そうで安心した」

愁眉を開いた珍しい福与の物腰に小鍛治がほんの一瞬見惚れる。
元気印満載で送られるTVとはまた少し別の、優々たる福与恒子のスマイルだった。
青になった信号に助けられはしたが、吸い込まれるようにドキリとしていた。

 「こーこちゃん、それって…」

何となく福与の顔が見れなくなった小鍛治は前に向き直った。
福与がギアとアクセルを操りながら答える。

 「今日の試合、すこやんの地元のチームの人が応援に来てたんでしょ? 相手がトッププロだっていう大一番よりも、そっちの方ですこやん気合い入ってたし、元気なくしてないかなーって」
 「 ……! ……TV局から私の家まで一時間以上掛かるよね?それにアナウンサーって、すっごく朝早いんじゃ…?」
 「へ?そうだけど。それが?」
 「あ…、深い意味はなかったんだけど」
 「何それ。変なすこやんー」

急に歯切れを悪くした小鍛治を見て福与が笑う。

 「私が変なのかな…」

車が大きなカーブに差し掛かる中、小鍛治は自室に居た時の沈んだ気持ちを忘れていた事に気が付いていた。
失くす訳にはいかないが、内側を浸していた居心地の悪さは著しいまでに薄らいでいる。
小鍛治は視線の隅で福与を眺めた。
薄らいだ成り行きは考えるまでもなかった。

 「でもさ、私の思い過ごしだったみたいだし。すこやんが落ち込んでないのなら良かった」

カーブの後半に入り、車の速度が上がった。
小鍛治が微々たる声で福与に向ける。

 「……こーこちゃんが来てくれるまではそうでもなかっ ─── 」
 「わっ!」

突如鳴らされた対向車線からのクラクションに小鍛治の台詞は掻き消される。

 「ゴメンすこやん、聞こえなかった。も一回言って?」
 「……」

小鍛治は一息ついてから口を開く。



 「ううん。ただ、こーこちゃんは本当にスーパーアナウンサーなんだなって思っただけだよ」


















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