二向聴。

一向聴。

聴牌。

そして ───

《清澄高校 中堅・竹井久!》
《連荘六本場でハネ直炸裂!》
《副将にまわすことなく一回戦突破だーーッ!!》



雲行きは跳満模様



夕焼けの赤と夜の青とで、空は二色に分かれていた。
まだ景色が見える程度の明るさはある。
竹井久と福路美穂子、二人が公園のベンチに腰を下ろしてから、既に時計の長針は半周を回ろうとしていた。
今に至るまで二人に会話はない。
難しく、無言に、綺麗で、静かな時間だった。

誘いを掛けたのは、竹井でもあり福路でもあった。
明日に全国大会初戦を控えた清澄の作戦ミーティングが終わった後のこと。
清澄全員の面々が最終調整に専念していく中、竹井だけが音もなく席を外した。
それに単独気付いたのは、同室でもある福路美穂子。
卓が空いていない?それならば喜んで自分の場所を譲ろう。と、咄嗟に考慮して周囲を窺ってみるも、概ねその当ては外れ、卓は余裕と空いているようであった。
呼びかければ面子にも不自由しない環境、休憩には少し早いタイミング。
福路はしばし目だけで竹井を辿っていたが。

 「…!」

出入り口付近に差し掛かった折、喫驚と共に視界に入ったのは、竹井久に到底似つかわしくない窮屈な横顔だった。
照明等の影が作り出す見誤りでないのは一目瞭然。
竹井久に溢れていた筈の精彩は歴然と欠いていた。
何が彼女をそうさせたのか。
福路は思量を持つも、結論に達するよりも先に竹井が視線の気配を察した。
目が合い、どちらもが次いで丸く見開いたが、逸らしはしなかった。
福路の様子を気取った竹井は気まずそうに頭を掻く。
起こした人差し指をそのまま口元に寄せ、

 「しぃー」
 「え…」

今のは内緒に、と。福路に映ったのは、竹井のそんな言葉と無理じみた一笑。
そして、福路の返事も待たず、続いて歩を進めた竹井はそれ以外の音を残さずに部屋を出る。

 「…竹井さん」

福路は竹井の後姿を見届け ─── 見届けながら、熾烈に胸が痛む感覚に襲われていた。
竹井の背を見た時、何が彼女をそうさせたのか得心出来たような気がした。
切なさに顔を顰めた福路がそろりと立ち上がる。
追わなければと思った。
竹井のその背は、独り、壮絶に、何かと闘っているように見えた ───




竹井の後姿を早足で追った福路が外に出る。
夕焼けの赤と夜の青とで、空は二色に分かれていた。
まだ景色が見える程度の明るさはある。
「散歩でもどう?」 竹井は振り返りもせず、まるで分かっていたかのように言った。
福路は折り目正しく 「はい」 と答え、竹井の少し後方を歩き始める。
行き先は特に必要とされず、そうして二人は公園のベンチに腰を落ち着けた。
しばらく会話は途切れているが、決して息苦しくはない。
難しく、無言に、綺麗で、静かな時間だった。
自発と竹井を追って来た福路は、この流れに異色を差す役割を持とうとしていた。
しかし福路は掛けるべき言葉の切り口を今尚探し出せずにいる。
竹井が闘っている「何か」は自分も体感として身に置いたことがあった。
張り詰めた背が黙して語っていたものを、福路はとてもとてもよく知っていた。
敵、竹井が対峙しているものは、初の全国を担う重圧・夢としている想いの数々だ。
マイナスもプラスも綯い交ぜとなり、緊張も集中も遥か越えて、単一の生易しい言葉では表し切れない摩擦となっているに違いなかった。
独りで闘わねばならない理由は、彼女が「部長」であるからこそ。
率いる者は、常に泰然自若であった方が良い。優勢・劣勢に踊らされず、自信に満ち溢れていてこその先頭。並び立つ者のない座標で指揮を執り、士気をも確定付ける役割。
大事の前ならば尚の事、見せられない顔というものがある。

 「……」

だが、福路にはそれに共感することは出来ても、決して取り除いてはやれないのだった。
今のこれは、あくまで清澄高校の「部長」としての彼女の闘い。
仲間がいて、友がいて、応援があって、独りではなくとも ─── 清澄高校の部長は「竹井久」の独りだけで。
誰かの介入が許されるものではない。
二年前に全国を経験し、現キャプテンを務める福路美穂子には、竹井久の心中にある想いが胸が痛む程に理解出来ていた。
そして体感として通り抜けるだけ、他人がその重圧を消し去る事は叶わないと知るのだ。
何も出来ない。これでは追ってきた意味もないが、福路にはそういったものを触れずのままでいる勇気もなかった。
もし、無意味なお節介だと思われていても後悔はない。
あの背を見た瞬間、いてもたってもいられなくなったのだから。

 「どうしたものかしらね、こういうのって」

停止がちにあった時間が竹井と共に動いた。
ベンチから数歩離れた竹井は後ろのままでポツリと言う。

 「あの子達に勘付かれる前に何とかしたい所だけど」

福路は夕日に照らされる赤い後姿を眩し気に見詰めた。
この角度からでは表情は窺えないが、恐らくはまた窮屈でにこやかにあるのだろう。
福路は考えていた。
何も出来なくても、何か伝えることなら出来るだろうか。
心が廻る。
福路美穂子として伝えたい言葉と、場所こそ違えど、同じようにチームを率いてきた者として伝えたい言葉はどうやら少し違っていた。
それは似ているようで別の思い。
福路美穂子は思う。夏を背負う後姿に思った。
自分は彼女についてあまりに何も知らないのだけど。
まだきちんと話した回数も、牌を共にした数も、何かを語るには絶望的に頼りないのだけど。
でも、そんな自分だけど、そんな私でも、数少ない時間の中で知れたことがある。
彼女の後輩が言っていた、清澄麻雀部をつくったのは彼女なのだと。
「部長は待ち続けていた」のだと。
独りで、二人で、三年間ずっと清澄高校麻雀部の可動を待って。
ようやく動けた今年。
個人戦にすら出ていなかった竹井久の、どれだけそれは嬉しく輝かしい日だったのだろう。
そして彼女のチームは周囲の誰も予想し得なかった速度を纏い、あらゆるものを超えた。
龍門渕を鶴賀を風越を、長野に在する麻雀部全てを超えた。
しかも今は新しい夢の途中。彼女にとっては県大会出場もインターハイの切符でさえも踏み台に過ぎず、ただの通過点らしかった。実質一年目のチームが全国大会に行くだなんて、頂点に立つだなんて、どれだけ天文学的な確率か貴女が知らない筈がない。
待ち続けた過去、信じたからこその今、掴もうとする未来。
強い人だと思った。
麻雀の実力のみならず、身体に通う軸がこの上なく強い人だと。
明日の事は明日にしか訪れないにしても、数少ない時間の中で手放しに知れたこと、思わされてしまったこと。
貴女はとても強い人。
大丈夫 ─── 福路美穂子はそんな心を伝えたかった。

 「……ごめんごめん。こんな質問、困るわよね」
 「いえ」

けれど、福路は涼やかでいて複雑な光を滲ませている竹井を見て、今選ぶべき切り口は福路美穂子ではなく、戦った相手として、一選手として、何よりキャプテンとしての自分だと感じていた。
部長とキャプテン。それは出会っているようで出会っていなかった、違う道を歩んで来た二人の唯一の共通点。
チームを導かんと担う形状無き難局には、「大丈夫」だなんて主観としての感情ではなく、事実としての鼓吹を返すべきにある。

 「自信を、持って下さい」

様々な考えを巡らしている内に、福路の口を衝いたのはそんな言葉だった。
無意識にギュと掌を握る。願いを込めるかのような所作には、やはり、それに準ずる願いが織り込まれていた。
彼女の複雑を取り除くことは、きっと自分には出来ない。
しかし、少しの経験と唯一の共通点を介せば、その背を押すことくらいは叶うだろうか。
何か一つでも力になれるだろうか。

 「他の誰に何があっても、竹井さん ─── 」

福路は竹井の背を見据えながら、慎重に言葉を拾うように続けた。

 「部長である貴女だけは、崩れる訳にはいきません」

竹井がゆっくりと振り返った。
酷く驚いたような顔を覗かせていたが、間を許さずその表情は引き締まる。

 「私だけは、崩れる訳にはいかない」

福路が頷いた。

 「皆が貴女を信じ、頼りとしています」

二対の瞳は揺るがずのままで、ひたすら真っ直ぐな直線を描いた。
二人の背景では夕焼けの赤が夜の青に包まれようとしていた。

 「外から見ていても分かるくらいで、とても素敵でした。竹井さんは清澄そのもののように思えます」

瞳に青い光をはらめた福路が言う。

 「ここ東京は私達を倒した証の場所。竹井さんが作り上げたチームは長野のどの高校よりも強かったんです。それだけの事を成し遂げておいて、嘘でも ”自分” に負けないで下さい」
 「自分に…」

竹井が押されるように零した。
確認するように復唱して、深く首肯する。

 「そうね、本当そうだわ」

竹井は溜息とも感嘆とも取れる声量で言った。

 「私だけは崩れる訳にはいかない。……福路さん、きっと貴女もそうしてここまで来たんでしょうね」

福路は微笑むだけであったが、竹井はそれを答えと見る。
次に、竹井は手を差し出しながら。

 「ありがとう。さすがは風越のキャプテン、麻雀で持つものは厳しいのね。背筋が伸びた気分だわ」

福路も手を伸ばしながら。

 「偉そうなことを言ってしまって申し訳ありません。でも、」
 「私だったから言ってくれたんでしょう」

一旦、福路の動きがピタリと止まる。

 「ここにいるのが部長の私だったから ─── 私情を入れず、選んでくれたんでしょう?」

貴女もキャプテンだから。
竹井は止まったままでいた福路の手を取った。

 「今の私に必要なものを選んでくれてありがとう」

竹井の声に熱が篭る。

 「見ていて頂戴。情けない試合だけは絶対にしないから」
 「応援しています。本当に、最後の一手まで」
 「宜しくお願いね」

竹井に手を引かれた福路は自然と立ち上がった。

 「?」
 「もし、私達に部長やキャプテンのような立場が無かったとしたら、貴女はどんな言葉を掛けてくれていたのかしら」
 「えっ…」
 「良かったら、聞かせてくれる?」
 「で、でも。私はまだそれほど竹井さんと過ごした訳でもありませんし、知ってることも少くて…」
 「そんなの問題にはならないでしょ」
 「…きっと役には立てません」
 「それも問題じゃないわね。ただ私が福路さんの言葉を聞きたいの。駄目かしら?」


福路は赤らんだ頬を隠すように慌てて下を向いた。



 「私は───」



思いの丈を全て伝えた頃には、街にも二人の下にも夜が訪れていた。
またありがとうを重ねた竹井が、心なしか空中に目を遣ってから、反転して、肩越しに顔だけを振り向かせた。
ニッとした笑顔と背を見せた竹井。
福路は、力強さを宿した背中に、部長に、竹井久に「大丈夫」と頷いた。


















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