子供以上大人未満<後編>
翌日。
開けた玄関から見える空、快晴。
電車の運行、通常通り。
「色々ありがとう」
玄関口で見送りをしている福路に向けて竹井が言った。
トンッと靴の先を鳴らす。
「こちらこそ。楽しかったです」
「昨日、眠れなかったんじゃない?」
ここで竹井が謝するように眉を下げたのは、昨日の自分があのまま寝てしまったからだった。
船を漕いでいた時間は長かったようで、目が覚めた時には既に朝日が眩しい午前六時。
寝惚け眼で時刻を確認し、もう少し眠れるかと寝返りを打った竹井は、枕とはまた違った柔らかな感触に不審を覚えた。
寝起きの気だるさと戦いつつ、擦った目で現状の把握。
次に、竹井は固まった。
「起こしてくれて良かったのに」
「よく眠っていたみたいでしたから、起こすのは忍びなくて」
なんと、丁寧にブランケットまで掛けられた竹井がいた場所は、福路の膝の上だったのだ。
福路も眠ってはいたが、何時間も座ったままの体制を強いてしまって、疲れない筈がない。
「お世話になった分は今度埋め合わせしないとね。何かリクエストある?」
「そんなに大した事はしていませんよ」
「んー。そう言われると何かしたくなるのが人間ってもので」
竹井が茶目っけたっぷりに言って見せた。
福路は観念したように笑み、双眸を泳がせて考える仕草を取る。
「………では、お願いがあります」
しばらくしてから福路が告げた。
「全国大会、出来るだけ長く清澄高校の応援をさせて下さい」
”出来るだけ長く”、台詞に仕掛けられた福路の意を竹井が読む。
優勝と安く言わないのが彼女らしいと思った。
故意に頂点を外して先々の多難さを含ませる、これは、全国経験がある風越の身なればこその優しい忠告だ。道の険しさを知る彼女は無責任に託すことを良しとしていない。
故に、「出来るだけ長く」なんて漠然とした言葉に「優勝」という激励を込めてくれた。
「OK、最大限の努力を約束しましょう」
「はい。宜しくお願いします」
「でもそれなら美穂子だってそうよ。ウチの咲や和もだけど、個人は後に取り返しが付かないだけ厳しいわ」
「全力を尽くします。……もし、宮永さんや原村さんと当たっても負けませんよ?」
「あら。これは咲と和も大変ねー。部長責任として鍛えておかないと」
竹井と福路が笑う。
互いに放った冗談半分本気半分のような宣戦布告は、まるで木漏れ日にいるような温厚だった。
「頑張りましょうね」
一頻り笑った後、竹井は福路との距離を詰める。
「お互いに」
言うと同時、竹井がやにわに福路を引き寄せた。
少し背の高い竹井の胸に福路が飛び込む。
「ひ、久…!!」
「驚いた?昨日のお返しよ」
昨日と同じく呼吸さえも重なる距離。
自ら動いた竹井も、受ける福路も、甘く脈打つ音を聞いていた。
どうやらそれは離れた後も五月蝿く響き続けるようで。
「顔、真っ赤ね」
「い、いきなり抱き締められたら誰でも驚きます…」
「昨日は美穂子の方が大胆だったと思うけど?」
「う…」
「ふふ、嘘よ。こんなにすっきりした気分は久しぶり。ありがとね」
何食わぬ表情を装いながら、竹井が確信する。
曇りが晴れた代償に、何か抱かえさせられてしまったものがある。
不鮮明なりにその存在を主張せんとするひとひらの感情。
気のせいとは逸らせない確たる予感。
「美穂子って誰にでもあんな感じで接するの?」
「はい?」
「学校とか、麻雀部の部員とか誰でも良いけど」
「そう…ですね。たぶんそうだと思います」
「へえ。やめた方がいいんじゃない」
「??」
何かある。
今の竹井には、何か分からないものがあるという事が分かるだけであった。
「それじゃまたね、美穂子。次に卓を囲む時は私も貴女も今より強くなってる。また打ちましょう」
「はい。久もお気をつけて」
対局時よりも激しく高鳴るコレの名を、竹井はまだ知らない。