短い夏はゴメンだ



部室横にある待機室で椅子に腰掛けた久保貴子が額に青筋を浮べるまでそう長くは掛からなかった。
彼女を瞬時にして沸点ギリギリへと導いたのは机上に置かれていた雑誌一つ。
ゴシック体の太文字で飾られた表紙の一文を久保の目が追う。

《強豪風越女子敗退!!ついに連続優勝記録途絶える》

労を掛け積み重ねてきた歴史も、落ちるのは一瞬か。
久保は鈍い頭痛を流してから鼻で笑う。
敗退すればこうなる事は当然ながら予見していた。負けは負けなのだからそれは認めるしかない。
ある意味この屈辱は一定レベル以上の場所で戦った者にしか味わえない世界だが、これが懸けてきたものに対する褒美だとしたら、なんとも酷な褒美じゃないか。
雑誌を手に取った久保はパラパラと雑な動きでページを捲った。
高校生の試合という事もあって辛辣な物言いはされていないが、無名で優勝という快挙を成し遂げた龍門渕高校よりも、「強豪風越女子敗退」のほうを大きく取り上げてくるとはさすがマスメディアは人心の煽り方を心得ている。文章を読み込まなくとも、こんなにも簡単に腸(はらわた)が煮えくり返ってしまった。指導者でコレなのだ。さて、ならば選手達の心境は。
久保のページを捲る手がピタリと止まった。
優勝杯を掲げた龍門渕透華の写真の隣に並ぶ、泣き崩れる教え子達の小さな一枚。
この団体戦がチーム戦最後の試合となった三年生、副将・福路美穂子、大将・池田華菜、試合には出れなくとも応援に全力を注いだ他の部員達。
カメラの存在なんてお構いなしにグシャグシャになった顔を晒して、やり場のない涙を零していた。
久保は頭に完全沸騰の兆しを感じて雑誌を投げ捨てた。
横にあった新聞にも似たような見出しが踊っていたので、それもまた叩き付けるようにして捨てた。
敢えてもう一度思う。負けは負けだ、それは曇りなく認める。
だがしかし、各メディアで特集を組まれてまで宣伝されては不名誉も更に際立つというもの。
納得はしていても、苛立つものは苛立つのだから仕方がない。

 「鬱陶しいな…」

紙類を一掃した机の上で最後に残った固定電話を見て久保は呟いた。
受話器を軽く上げる。
そして、とくにダイヤルをプッシュすることもなく、そのまま受話器が上がったままの形で放置する。
どうせしばらくは今回の件のインタビュー依頼しか入らないと分かっているのだから、断るのも出るのも億劫だった。緊急の用ならば嫌でも個人携帯が鳴る。この電話が常に”通話中”でも差し使えはない。
ここで久保はふと、やたらと機械を壊す迷惑な特技を持った二年生を思い合わせた。
福路美穂子 ─── 丁度ここに来るように呼び出してある太陽色の髪を持った部員だ。
あいつに触らせてみるのも面白いかも知れない、噂によれば家電以外の機械に触れれば最後、その物は煙を上げるか暴走するかの二択を迫られると聞く。ついでにこの電話も故障させてくれれば御の字だ。機械自体の不調とならば後々で誰も文句は言わないだろう。
戯れにそんなことを思案していた久保は廊下に人の気配を感じて目を遣った。
数秒後に控えめなノックが鳴り、引き戸が開かれる。

 「失礼します」
 「ああ、入れ。噂をすれば何とやらだな」
 「…?」

久保はきょとんとした顔で立っている福路美穂子を正面の椅子に座るように促した。
昨日の試合で副将を務めた二年生。疲れを見せないようにしている姿勢は殊勝であったが、さすがに腫れ気味となった目までは誤魔化せずにいる。

 「ミーティングが長引いてしまいました。遅くなって申し訳ありません。今日は一体…?」

どうして呼び出されたのか告げられていない福路からの尤もな質問。
それに対し、久保は乱雑に「まあ色々だ」と答える。
珍しく核心から離れた久保の物言いに福路は浅く首を傾げた。

 「重要な話がある。だが、その本題に入る前にお前に一つ聞きたい」
 「はい。何でしょうか」

福路が座りきったタイミングを見計らって久保が問う。
回答如何によっては次の風越の旗色が決まるであろう、重要な問いだった。
これに密なる期待が込められていたことには、福路は勿論、久保自身にも知れない。

 「福路。昨日の試合、どうして負けたと思う」

自然と低くなった語尾に怒気を含ませれば、久保の圧力に呼応するかのようにして福路の静穏だった雰囲気に紙一重の気炎が拡がる。それは彼女が牌を前にしている時に比べれば遥か及ばない弱さではあるものの、深く研ぎ澄まされた確かなものだった。
久保は福路から視線を外さぬままで思う。
大抵の部員はこのように睨みを利かせれば萎縮して固まるものであるが、その点において福路は怯む素振りすら見せないのだから大したものだ。生意気でもある。
いつ如何なる場面でも福路の態度は変わらない。怒鳴られようが殴られようが、必ず今のように真摯で挑戦的な瞳を返してくるのだ。
おっとりとした外見とは対照的に引かないところは引かない頑固な性分らしく、時には他部員の説教中にもフォローの為に口を挟んでくる場面が多々あった。それも飽きることなく、何度も何度もだ。
綺麗事だけでチームは強く出来ない、毎日そう教えてきたつもりだ。
なのに誰かに手を上げようとすれば決まって福路が割り込んできた。そして、代わりに自分が頬を腫れさせて損ばかりしている。二年にして県トップクラスの技量がある人間のする事ではない。
久保はそんな福路を常日頃から面倒だと思っていた。
鬼とまで評されるこの「風越の久保」に向かってこれ程臆せずに食い下がってくる部員は前例がなく、率直な話、指導する側から言えば扱いづらいの一言に尽きる。
久保は足を組んだ。
同じように胸の位置で腕も組んだ後、重い粛然を持って福路に「答えろ」と暗黙の命令を飛ばした。

 「龍門渕高校が私達よりも強かった、それだけです」

暫時にあった沈黙を福路の回答が破る。
一度、噛み締めるようにして目を閉じた福路の姿を見た久保は心中密かに口端を上げた。
敗北を肯定しながらでも、それによって焚き付けられた火がチラついているのが見える。
模範も正答もない問いに寄越した福路の、それが答えだ。

 「お前らしくない随分と抽象的な回答だな」
 「今日のミーティングで個々の反省と相手の分析は済んでいます。要因は様々ありますが、負けた理由を提示するのならばそれ以外はありません」
 「だが大将戦、池田の振り込みが無ければウチが勝っていた。それでも”私達”が弱かったからか」
 「はい」
 「何故だ」
 「あの試合は団体戦です。誰かのマイナスをカバー出来なかったのならそれはチーム全体の力不足だったと考えます」
 「ふ、なる程。なら、副将戦で善戦したとはいえお前も敗退の原因を作った一人だ。今、それを理由に殴られても文句は言えない」
 「構いません」
 「大した度胸だ。歯ぁ食い縛れ」

久保は尖らせた声を投げてから素早く手を振り上げた。
福路は動かない。目を伏せ、黙って衝撃に備えていた。

 「…?」

だが、いつまで経ってもその時はやって来なかった。
疑問を感じながら瞼を上げる福路。すると、振り上げられた筈の手はなく、その代わりに久保の悪戯な笑みがあった。

 「まあ一年の時からエースを任せてきたお前だ ───」

福路は面倒で扱いづらい。久保の中で、やはりこれだけは不動の決定事項らしかった。
性格も合わなければ、綺麗事を並べて他の人間の為に殴られようとする考え方も理解出来ない。
おまけにこちらに恐怖心を抱いていないこともあって、平然と無垢な反発も向けてくる。
加えて次世代を担うだけの力を擁しているとなれば、最早、久保にとっての福路は「優秀な問題児」だった。

 「─── それくらいの度胸がなければ困る」

だが同じくらい、久保は自分自身がこの果敢な若い熱を好んでいるのも分かっていた。
面倒だが、嫌いではない。
甘ったるい性格の中にある、勝利に対する気迫、最強に対する執念。

 「殴られるよりマシだろう」

久保は言いながら福路の額を指で弾いた。
本日二度目の福路のきょとんとした顔。

 「三年が引退後、お前がキャプテンやれ」

久保は福路を指差した。

 「…!私が、ですか」
 「何を驚くことがある。三年が引退すれば実質お前がNo,1だ、他に誰がいる」
 「ですが、私にそんな大役は」
 「私に言われた以上拒否権はないんだ。諦めて受け入れろ」
 「コーチ…」

そのあまりに久保らしい無骨な言葉に福路は小さく表情を綻ばせる。
逃げ道を塞ぐやり方は久保の常套手段であったが、福路は今までの経験から、これはコーチが認めてくれているからこそのものだと知っていた。

 「返事は」
 「はい。僭越ながら引き受けさせて頂こうと思います」
 「仕事が増えるぞ。私はミス一つでも許さないし生温い麻雀をした奴は殴る。ランキング上位の者には特に容赦しない。責めることはあっても褒めることはないんだ、後はせいぜいキャプテンのお前がカバーしてやることだな。病院送りにしない程度に打ってやる」

福路は眉を下げて苦笑した。

 「ああ、それとな。新チームになった後だろうが福路と池田は何処に行っても今回の負けを突かれるぞ。腹は括っておけ」
 「……そうですね。仕方ありません」
 「私も事ある毎に掘り返してやる。それでお前は少しくらい私を怖がればいい。怒鳴りがいが無いんだよ、お前の場合は」
 「怖がる?」
 「何だ、不満そうだな」
 「怖がりは…しないと思います。今までそう思った事がありませんので」
 「はあ?」

久保は眉間に皺を寄せた。
故意に凄みを利かせてみるも福路にはやはり効果がない。
暖簾に腕押し、それどころか何故か落ち着いていて嬉しそうな調子さえ見せている。

 「久保コーチはご自身の事を悪く言いがちですが、怒るのは全て私達の為ですよね」

久保は一段と眉間の皺を増やした。
お前は馬鹿なのかと言う久保に、福路ははぐらかしても駄目ですよ、と面持ちだけで伝える。

 「今回の試合もそうです。優勝を逃した風越は同時に伝統をも失いました。レギュラー陣だけではなく麻雀部全員が遣り切れない思いに苦しんでいます」
 「……」
 「コーチはそれを分かってくれています。だから、小さなミスも叱ってくれますし、個人を責めるように言って正しい反省を望む」

福路は胸に手を添えて静かに言った。

 「全て、私達を勝たせる為、昨日のような思いをさせない為にです」
 「は。お前の言うことはいちいちむず痒いな」

透き通った言葉が室内に満たされる。
この感覚が苦手な久保は立ち上がって窓の外に視線を移した。
福路には背を向ける。

 「だから、怖いと感じることは先々でもないと思います。全国で数えてもこれだけ熱心な指導をして頂ける所は少ないでしょうから」
 「でもお前はその”熱心な指導”を止めるじゃないか。割って入るだろう、いつも」

会話の隙間に福路の困り笑いが漏れた。

 「手が上がるのを見るとつい…。これは性格ですから、変えられません」
 「あのなあ…喧嘩を売っているのかお前は。矛盾していると分かって言ってるだろ」
 「指導に感謝しているのは本当です」
 「…まあいい」

振り向いた久保は再び福路に焦点をおさめる。

 「しかし、だ。お前のその情けはチームの癌にもなり得る」
 「…!」
 「悪いとは言わない。池田を筆頭にお前に教えられた奴のランキングが上がっているのも事実だ。だが一歩間違えば、そいつの成長をお前が遮る可能性がある事を肝に銘じておけ」

久保の台詞を最後まで聞いた福路は椅子から足を起こした。
伸びた背筋から頭を深々と下げ、敬意を込めた一礼を久保に向ける。

 「はい。これからもご指導の程、宜しくお願い致します」
 「以上だ」




ゆっくりと顔を上げた福路が部屋の出口へ向かう。
その背に久保が声を掛けた。

 「福路」
 「?」
 「来年はお前達を勝たせてやる。ついて来い」

ニヤリと久保が鋭い闘志を放った。
有無を言わさぬ久保の風格に福路も凛を尽くして応える。

 「全国へ」
 「ああ。行こう」


















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